湖北の風景8 金比羅大権現
新緑の季節。
みずみずしいお山へ気持ちが吸われます。
できることなら一日ハイキングしていたい。
気分は天狗か。
そんな今日も米原駅東口、青岸寺の隣。
金比羅(こんぴら)大権現の階段を登ります。
金比羅大権現(こんぴらだいごんげん)
海上安全の神(仏)
「権現」とは仏が仮に神の形を取って現れた存在らしい。
「こんぴら」とはサンスクリット語「クンビーラ」
ワニを神格化した水神が由来らしい。
明治の神仏分離で「金比羅神社」、祭神も大物主に変わっていることが多いけど、こちらは「大権現」表記のままのようです。
江戸初期、
米原湊を見下ろせる場所に勧請された金比羅さん。
今や町は干拓され鉄道が敷かれ高速道路が走り、湊の面影はない。
琵琶湖の航行安全を願って祀られたこの社は時代の流れに逆らえず朽ちていくのかもしれません。
祀る人の居ない社の行く末・・・
ご利益のため人は神を祀るけど
スポンサーがいなくなれば朽ちていく神。
そんな風に想うと切ない金比羅さんでした。
初めて訪ねた時、
神隠しに遭いそうな異世界感と廃墟感にビビリちらしました。
何回か通うと私の心理的安全性の圏内に組み込まれたのか、落ち着く秘密の花園です。(ただし毒虫に注意)
お賽銭箱が一杯になっているけど
修復を願ってわずかながら寄進せずにはいられません。
(それはそれで、無責任だけどね)
あと、戦死者(いつの戦争かは知らないけど)を祀る大きな「忠魂碑」も近くにあります。
こちら、老朽化の建前で立ち入り禁止になっていました。
拝む人もこの世を去っていく。
戦争の記憶を保存しろーとかは言いませんが、
祀る人がいなくなる墓標は朽ちていく。
そうか。
自分の墓も永遠ではないんだ。
化石にもなれず、私が存在した記憶も朽ちていく。
だからこそ君と会えたこの日々が愛おしいんだ、
なんてピュアなお年頃でもないけれど。
ちょっとメタな視点で人生を俯瞰できる、
そういうのが、歴史が好きな理由かな。
ただ、
小さな足でそろり、そろりと石段を降りていく、
キュッと握ったきみの手はやっぱり温かいんだ。
そんな気分の青春の一曲。
周りの色に馴染まない出来損ないのカメレオンの歌。
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