怒りを抱いたまま、明日を迎えない
最近、仕事の仲間でうまくコミュニケーションが取れないことがありました。
その方はひとつずつ物事を片付けていくタイプの人なんだと思う。
私のような濁流の中で仕事をこなしていく人間からすると、その方のペースに引っ張られて、全く仕事が進まない感じがした。
2日経過しても何も進んでいないように見えるのは、私にとって結構ストレスを感じる状況で、更にその方が拘っているポイントが問題の本質とはあまり関係ないことのように思えて、イライラが募っていました。
が、わたしには決めていることがあって、それは怒りを抱いたまま明日を迎えないということ。
これは聖書の教えです。
私の母はクリスチャンで、子どものころは聖書を読まされて育ちました。
私はクリスチャンではないけど、三つ子の魂百までで、覚えている聖句もいくつかあります。
どの章だったのかまで覚えていないけど、気をつけて実践している。
そんなわけで、今までと同じように、今日の怒りは今日のうちに忘れてしまおうと思っていた。
だけど、ふと今日のうちに忘れるっていう態度はマインドフルじゃないような気がしてきました。
マインドフルネスでは、その時に一番強く立ち上がっているもの(感情・思考・感覚など)をありのままに見つめます。
見たいように見るのではなく、ありのままに見る。
無かったことにしない。
それをしているうちに、そうやって感じている怒りが、どこから来るのか。
目の前の人に対する怒りであっても、古い記憶が原因になって、怒りを感じているのかもしれないし、もっと理解してもらいたいとか、自分の中の欲求が満たされないことから来ているのかも知れない。
そこで自分に対する思いやりの気持ちが養われていくのだとしたら、「今日の怒りはもうこれで終わり!!」って、シャッターを閉めるようにしてしまうのは違うのかな。
聖書の言葉も本来は、私のような強制的にシャットダウンすることではなく、問題を翌日に持ち越さずに、その日の内に解決しましょうっていうことなんだろうなという気がしてきた。
怒りを丁寧に感じるって、結構キツいイメージしかないんだけど、それも一つの実践だ。と思って取り組んでみます。
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