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良いものとは。良いものづくりとは。

平安蚤の市に行ってきた。
気に入ったいくつかのものを選んで持ち帰った。
良いものだと思ったそれたちは、気に入ったもの、だった。私の《気》に入ったもの。
例えば、見た目が好きだ、とか、手触りが最高、生産背景に共感した、とか、なんでも良くて
重要なのは私の中に入って心地良いと思うかどうか。
良いものってそういうものなのだな、と腑に落ちた。

最近、天然素材や天然染料を使ったプロダクトで、みんな似たようなアンダー気味でいかにもオーセンティックな雰囲気の写真で訴求するブランドが増えていて、ナチュラル嗜好の波がまた来たのかと思いながらも、私自身もとっても惹かれている。(!)
(みんな同じに見えることについてはちょっとの違和感を覚えるのだけれど)

自然に還るということ、自然の循環に身を委ねるということの心地よさをみんな求めているのかなと思う。

蚤の市で手に取った気に入ったモノたちは、古いからいい、ということでもなくて
良きものは長く残っていくことの副産物として古さのような侘びを纏っていくのかもしれないなと思う。

そんな心地良さ、でも良いし、
元気になれる、でも良いし、
憧れに近づける、でも良いし、
《良い作用がある》ものづくりこそが本質なのかなと思います。

それでもうひとつ気がついたことは、
自分が長く過ごす場所に気に入ったものを置くという事で、気に入らないものが無性に気に障るようになること。
私の場合、プラ素材のパッケージや煩雑な調味料などが目に入ることがとても煩わしくなって、
色々と工夫しだしている。

お洒落な人の部屋がそうであるように、きっと彼らはこの感覚が澄まされていて、気に入らないものを敏感に排除できているのかなと思う。
だから私もいま、お洒落な人への階段を登れているのだとしたら、それはもう頑張りたいところです。😂

平安蚤の市の戦利品

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