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ブルターニュ:イル川

「ミディ運河はたしかに良く知られています。大西洋と地中海を運河でつないでいるなど誰が想像できるでしょう。夏ともなれば、たくさんの船が行き交いますよ。でも、残念ながら、イル川にはミディ運河のような観光船が無いのです。夏のバカンスにでもミディ運河に行かれたほうが良いですね。」
運河沿いを少し歩きたいだけだと伝えては見たが、船で楽しむ冷えたシャンパンの方がまともだと信じているに違いなかった。
「えぇ、イル川沿いのハイキングも悪くありません。レンタルの自転車もありますよ。50km以上は楽しめます。どうしてもイル川がご希望なら、宿泊だけのボートを手配しましょう。シャンパンはついていませんが。でも、その前にひとつだけ確認させてください。ストラスブールではなく、ほんとうにブルターニュのイル川の話をされているのでしょうか。」

イル川の連なるロック(閘門)

 フランスは無数の運河で繋がっている。時に天然の川を伝い、時にたくさんのロック(閘門)で高さを変えながら、船は地中海と大西洋も、大西洋とイギリス海峡もつなぐ。ブルターニュのイル川もそうした運河の一部を成す小さな川である。ミディ運河のように知られてもいないし、最終的に整備されたのは19世紀とも言われるので、歴史があるわけでもない。それでもロワール川河口とブレストを結ぶ360kmにもおよぶナント運河とも繋がって、その美しさは引けをとらない。
 ブルターニュの中心都市であるレンヌ市を起点に、レンヌ市と一体となったサングレゴワールを通過すれば、イル川の周囲はいきなり広々とした田舎の様相を見せる。家もほとんど見当たらず、次のベトン村までのおよそ10kmは、ハイキングやサイクリングに適した整備された道が川沿いにずっと続く。風景は変わらず森と牧場と農場ばかりである。夏を除けばすれ違う人もさほど多くはないが、それでも1年を通じて誰かしらが運動を楽しんでいる。

イル川沿いに作られた遊歩道

 元々ひどく蛇行した川だったであろうことは、歩き始めればすぐにわかる。いわゆる三日月湖のような、川から引き離された分水路もあれば、定規で引いたような真っ直ぐな流れもある。つまりはイル川は天然の川を使った運河なのだろう。サイクリングを楽しむ道は、かつては艀を馬が引いた道に違いない。運河の両脇を馬がロープを引いて歩いていたのかも知れない。その運河を今は夏のボートが行く。ほとんどが立派なベッドルームもリビングも付いているようなある程度の大きさがある船である。ただ、幅は決して広くない。運河にはたくさんのロックがあって、大きさに制限があるからである。
 船がその狭いロックに入ってロープが結えられると、ロックの扉が閉められる。扉の開閉動作は人力である。モーターなどない。先日も担当者が自転車でやってくるまでだいぶ待たされた船がいたが、自転車をひょいと降りてチェックを簡単に済ませると、その担当者はぐるぐるとギヤを動かしてあっという間に扉を閉めた。水位も目に見えて変化する。ロックを超えるのにさほど時間は要しない。それだけ日常だという事だ。
 粉挽き小屋を過ぎてベトン村近くまで辿り着くと、川は複数の流れに分かれ、その流れをつなぐ橋や散歩道が広がる公園のような場所になる。日曜日の朝は小さな青空市がたって華やかである。川向こうの丘に見える教会の尖塔も美しい。レンヌから歩いてきたのならすでに3時間くらいは経っているかもしれない。ひと休みするには良い場所だが、運河はまだ1/10だ。もういくつのロックを通ったかなど忘れてしまった頃だろうが、先はまだまだ長い。
 そろそろ1/3は過ぎた頃、運河はちょっとした大きな高低差のある場所を通過する。この辺りはイル・エ・ランス運河(Le Canal d'Ille-et-Rance)と呼ばれており、真っ直ぐな運河は、明らかにそれが人工物であることを教えてくれる。森の中を抜ける爽やかな散歩道であるには違いないが、それは突如としてどこまでも真っ直ぐな運河となり、2kmほど続く。もちろんたった2kmではあるが、2kmは案外長い。そしてその2kmほどの中に10ヶ所ものロックがあるのである。つまり、それほど高低差があると言う事でもある。場所によってはロック同士がすぐ隣り合って、船が行き交えばちょっと忙しいことになりそうだ。

10連ロックを下流から眺める

 その一番下流から運河を眺めれば、それはなかなか大きなひとつの建造物のように見えて壮観である。60m以上もある高低差をつないでいくには、時にそんな場所も必要だったと言う事だろう。
 広義のイル・エ・ランス運河の全長は79km、ロック数は47、完成したのは1832年の事である。

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