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『ユリイカ』2020年7月号 今月の作品(新人投稿欄)に掲載された件 (ブログ’20年6/27からの転載)

ユリイカ 2020年7月号 特集=クイズの世界

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著作権の関係上、誌面は載せられませんが、

自作(竹之内稔:名義、題名「粉々の〈ふつう〉」)の詩が「今月の作品」の冒頭に載っています。

前回、数日前に書いたように、

「もうユリイカに出すのをやめよう。

 どうせ、やめるのなら、最後にふだん書かない散文詩を書いて送ろう。

 散文詩か。小説の文章と、どう変えたら成立するのだろう」

と思って、迷い迷い、若干戸惑いながら書いた2篇でした。


結局、掲載されたのは、元々はエッセイだったものを散文詩に書き直したもの。

いつも、僕の詩はモノトーンで奏でるものを、多重混声にしたような感じになって、応募しました。

散文詩が読みはするものの、今一つわからないままの手探り書きがよかったのでしょうか。

結果的に、それがルーティン・ワークを脱して、いつもの殻を破り、

ブレイクスルーできたようです。

この程度なら、著作権を侵害していない形で、許されるのかな?


選者の和合亮一さんの自作に対する講評「記憶が心を襲い、蝕み、あたかも生き物として肉体に棲もうとするばかりの生々しさを与えようとしている感じがあった。」との言葉を噛み締め、噛み締め、

次なる作品の栄養にしていこうとしています。

講評を何度も何度も読み込むと、なるほど、指摘されていることが自分でも意識できているわけではなく、

そういう資質・特色が自分にあるんだと気づかされます。


散文詩という形式は、普段あまり書かないんですが、

元々書いていたエッセイは、そんな感じのものだったし、

よく考えれば、某新聞に特選で選んでもらって評価された詩篇の数々も、自己に対して、

蝕んでくる〈何者か〉や、気づかない〈未知なる存在〉との葛藤を日常の中で描いておりました。


さすが、和合亮一さんは、本物のプロ詩人は正鵠を射る批評力をお持ちでおられる。


「精神の絵が凄い迫力で迫って来た」との最後の言葉は、過分なる褒め言葉で、光栄で嬉しいですが、

そんな作品ばかり書ける訳ではありません。


今回、予想していた通り、まさに、自分の顔は自分では見れないもの、だったんですね。

ありがたいことです。

では、自分自身の感性、詩作感覚を再構成させていただきます。

別にウケを狙うとか、そういう意味ではございません。

自分の中に、他者感覚を入れた批評者を育て上げ、一つの指針とするだけです。

散文詩だろうが、なかろうが、いや、詩だろうがエッセイだろうが、

元は自分の精神から流れ出たものですから、一つの形式としてまとめあげるだけ。

別にそれだけに統一するわけではなく、もっと軽いユーモラスでメルヘン調のタッチの別の形式も厳然とありますから、

(そちらは、『ココア共和国』の七月号電子書籍版に掲載されております。)

それも僕自身で消し去りは出来ません。


講評一つで、ここまで勉強になるんですね。

〈学ビスト〉としての、僕の本領発揮でしょうか。

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