白い太陽

今日は沿線で人身事故が3件あった。昨日は2件。それに不特定多数の人が文句を言っていた。亡くなった人も彼らにとって不特定の人でしかないから。文句は仕方ない。けど、たった一人で飛び込むさみしさについて、何故そこまで叩けるのだろうと私はいつも思う。学生時代の同級生は卒業してからしばらくしてあるとき駅から飛び込んだ。彼女の顔はきれいに化粧されたが額の傷は隠せなかった。お母様は私たちに何度もお礼を言い、何度もご自分を責めていた。それはそうではない。彼女が自らを投げ出してしまったのは悪い男のせいだった。しかし残された者から悔やむ行為を取り上げ、その人が亡くした者にできることを奪うことは私たちには出来なかった。彼女とは朝まで一緒に論文を組み立てた。明るくて、人気者で、スポーツに打ち込んでいた。酒に強く、私たちはげらげらと笑いながら眠い目を擦ったり仮眠したりを交互にしながら、最後には真っ暗な宿舎を抜け出して10人近くで海に向かった。遠くから地鳴りのようなゴゴゴという音が響いて女子大生たちはキャアキャア騒ぎながら浜まで歩いた。だんたんと漆黒はグレーになり、海と空の境目のない真ん中から太陽が小さく生まれ、それからあっという間に真っ白に光った。みんなで朝が来るのを見て私たちは浜をかけたりしてふざけあった。そうしたことが、一人一人にあったということを、私たちは不特定多数になりながら生きていくうちに忘れてしまう。

今日、電車が停まり待ち合わせに遅れるとメールを入れた。経路を変えて向かうと、一人で不安そうに座っていた利用者さんは笑顔になって迎えてくれた。大変でしたね、でも仕方ないですよ。私もさっき着いたんです、今日は少し遅くなったもんですから。その話がどこまで本当なのかはわからない。しかし、大丈夫じきにくるとその人は信じて待ってくれていた。信じるという行為までにこれまでいくつの苦労があっただろう。私はこうした方々と仕事をしているのだ。今日のことに私はどう感謝していいのか。支援というのはそういう仕事なのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?