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足助・旧紙屋鈴木家

足助にある「旧紙屋鈴木家」である。
豊田市の指定有形文化財であるが、この日一般に公開されていた。
安永五年(一七七七年)に建造された大商家で、敷地内には一七棟の建物があると言う。

一昨年位までは殆ど放置されていた様な有り様で、一時期はブルーシートが屋根に掛けられたりもしていた。
昨年にはそれが修復されていたが、その後も調査や修復も一段と進んでいた様子である。
写真を見て頂いても分かると思うが、かなり修復が進んだ場所とそうでない場所がはっきり分かれている。
古い建物の修復や維持というのは、かなりのお金がかかる。
如何に文化財指定を受けようとも、際限なく補助が受けられる筈はなく、また、それに掛けられるお金自体も税金である。
こうして一般公開して認知度を高め、市税の投入への理解を深めるというのは大切な事なのだろう、と感じている。

さて、僕がこれらの写真を見て思うのは「自分の視点」である。
自分でも理解できるのが、間接光への興味である。
建造物自体を写した物は別だが、これは単に「記録」であると認識出来る。
それ以外の、口幅ったい言い方だが、カメラを持った者の宿命的なエゴの部分は、何かを透して見える光への黙し難い反応である。
デジタルカメラの性能のお陰で、その反応が著しく阻害された例が一番最後の一枚である。
ここは灯りの類が一切ない、正面にある障子以外は真っ暗な状況であった。
その障子から差し込んで来る外光がきれいだったので、手ブレを覚悟でシャッターを切ったのだ。
高感度での撮影でノイズが少ないのは素晴らしいが、この写真を見ても、ここが殆ど真っ暗な場所だとは理解してもらい難いだろう。
やはり反応するのは、直接光源から向かってくる光ではなく、何かに反射したり、何かに透過したりする「柔らかい光」である様だ。
特に電気設備が十分でない時代の古い建物では、光に対して貪欲になるので、この兆候は強まる感がある。
まァ、何にしても築後三〇〇年近く経過した建物である。
じっくり見られただけでも眼福である。


この記事はニ〇一三年の三月に書いたものだが、この記事を書いた数日後に入院する羽目になる。

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