元田中マロ
写真と記憶と何某と。
とあるおじさんの炊事場。
最初からこうしときゃよかった...。 記事はマガジンにそれぞれまとめています。 「むさしの料理帖」 日々の食事、それにともなう何だかんだを書いています。 「むさしの写真帖」 こちらは写真とカメラを中心に日々思うあれこれを書いています。 あとはつぶやきをどうまとめようかな、と考えています。 もしよろしければお付き合いください。
端的であるべきだと思う。 そして叙事であるべきだとも思う。 それゆえの揺ぎなさが際立つものであれと願う。 それがイノセンスである。 凛としてそこに在るだけ。そして、その存在の緊張が投げかけた水面に広がる波紋で胸が震えるといい。
僕的には「エグい」写真を撮る人である。 アサカメに掲載されたこの辺の写真はミノックスを使っていたらしい。 僕はその辺りから彼を知った。 「エグい」と書いたが、別段これに定義がある訳ではない。 エグいは「刳み」から来ている言葉だと思うが、食べ物などの灰汁から感じる苦みを表す言葉である。 彼の撮る写真は日常的ではあるが、非常に「間の悪い」日常だと思う。 これはあくまで例えの話だが、ハービー山口さんの撮る日常が、その対局にある気がする。 被写体になった人、あるいは物に内在する物ま
「寝ますか?寝る前におはなし一つしてあげますよ。 リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます? いい名前でしょ。 リップ・ヴァン・ウィンクル。 彼がね、山に狩りに行ったんですよ。 山へ狩りに。そこでね、小人に会ったんです。 何ていう名前の小人だったかは忘れましたけどねえ。ずいぶん昔の話だから。 とにかくその小人に会って、ウィンクルはお酒をごちそうになったんですよ。 そのお酒があまりにもおいしくて、どんどん酔ってしまったんです。 そして、夢を見たんです。眠りに落ちて。
天気はいいが、やはり体調はすぐれず。 昼飯は残りもので「おにぎり」を作った。 流行りの緩く握ったものを作る。 具はみそにネギ、みりんを少しあわせて混ぜたもの。 受験生だったころ一人前に受験勉強なんかで夜が遅くなると、母親がよく「おにぎり」と「みそ汁」を食卓に用意しておいてくれた。 具は「たらこ」とか佃煮とかだ。 ひと段落つくと階下に降りていって、食卓からおにぎりとみそ汁、お茶が乗った盆を持って部屋に上がる。 窓を開けて寝静まった通りを眺めながら食う。 食い終えてお茶を飲む
それから。 僕は30歳を過ぎて、ようやく色々な事にほんの少し余裕を持てる様になった。 以前から知人だった女性と結婚し、未だ子供は居なかったが、平々凡々の毎日を、それでも今から思えばじゅうぶんに忙しい、そして充実した毎日を送っていた。 彼女の現在については知る由もなかった。 共通の知人がいる訳でもなく、また今更連絡を取った所で、話すべき事などないのも分かっていた。 時折、彼女を思い出す事があった。 取り分け美人と言う訳ではない。 染めなくても光を受けると淡く栗色に光る髪を、
僕が名古屋に戻ってからも、彼女とは頻繁に連絡を取り合った。 一番心配していた病気も少しづつ快方に向かっていて、地元での仕事も見つけた。 何度か名古屋に遊びに来た。 金曜の夜に来て、日曜の夜に帰る。 シンデレラ・エキスプレスだね、と笑った。 「顔が違う」 うん? 「こっちにいると、さ」 そう? 「うん」 ま、ジモトだからね 「そうだね」 何かきっかけがあった訳ではない。 僕は名古屋での仕事に次第に没頭する様になり、彼女も自分の仕事により深く関わる様になっていった。 若かっ
この記事の続き。 独り暮らしの荷物は思ったよりも少なかった。 最後の段ボールの封をしてしまうと、意外に広い部屋だったのだなと感じる。 引越し自体は明日なのだが、荷造りを始めて数時間で全部終わってしまった。 何時頃だろう、とテレビの方を見て(ああ、そうか。時計も片付けたのだった)と思い直す。 腕時計を見ると18時を少し回った所だった。 腹が減っていたのだけど、炊飯器も鍋もフライパンも全部片付けてしまったので、外に食べに行くしかなかった。 アパートを出ると、商店街はいつもの
さすがに堪えきれず医者にかかる。 まあストレス性のものだろうとは思っていたけれど、まさにその通りで、原因になるのはぼくのミスだから仕方ない。 それにしてもメンタルが体調に出るというのは、いつまで経っても治らないものである。 人間だもの。 昼飯は帰りに立ち寄った「コメダ珈琲店」で「自慢のドミグラスバーガー」を食った。 最近では逆メニュー詐欺で、つとに有名なコメダだが、昔まだフードメニューがトーストとサンドイッチくらいしかなかった頃からある「ジャーマン」とか「ヒレカツ」のプレ
ぼくの祖父は染色工であった。 名古屋城の堀の北側に工場があって、そこへ自転車で通っていた。 当時の堀は今のような柵もなく、日曜ともなれば太公望が挙って釣り糸をたれるようなところでもあった。 祖父は釣り好きな人で、寝ぼけ眼のぼくを引きずっては、ここへ釣りに来たのである。 釣果は、たまに鮒が釣れるくらいのものだったが、それでも存外に楽しかった記憶がある。 こうして久しぶりにここに立つと、藍の染みた爪のゴツい指先で、針に餌をつけてくれた祖父の姿を思い出すのである。
定着液を変えて幾らか改善が見られる。 ただ現像は足らない気がする。 EI20 で 15 分。 20 分くらいでも良いかも知れない。 写真は William Eugene Smith である。 水俣での取材の様子だが、あの事件は知れば知るほどチッソという会社が果てしなく根腐れをしていた事が見えてくる。 その根腐れに巻き込まれた形で彼自身も殴られて重傷 ( 写真家である彼の片目は視力を失う。「殴られた」などという生易しい表現では足りない ) を負うが、それを訴えると取材の公平さ
よく降る。 朝からずっとだ。 先日からどうも体調がよくない。 体調がすぐれないと鬱々としてしまい精神衛生的にもよろしくない。 昼飯は「おにぎり」と「ししゃも」「お吸い物」を食った。 家人が在宅ワークであったので家人にお願いする。 おにぎりは「梅ぼし」と「おかか」であった。 写真は失念していた。 食い物を載せるブログをやっているくせに、未だ食う前に撮るという基本姿勢が身につかない。 終日寝たり起きたりを繰り返していたので腹が減らない。 家人になにか食いたいものはないか、と
I like you who touch my hand quietly.
すんなり読めた方はどれくらいいるだろう。 「そよぐ」と読む。 風がそよぐとかで使う。 そよ・ぐ【▽戦ぐ】 [動ガ五(四)]風に吹かれて草や木の葉などがかすかに音をたてて揺れ動く。「風に―・ぐ葦(あし)」 である。 「そよぐ」という言葉の印象からは程遠い。 そもそも「戦」という字は「単」と「戈」からできているとされている。 「単」は「たて」で「戈」は「ほこ」であるので、いくさなどの意味の他にふるえる、おののくといった意味がある。 戦いに使う鎧や甲冑に着けられた飾りなどが風には
体調が悪いと気分も沈む。 気分が沈むと食欲もない。 イカンねェ...。 昼飯は食ったかどうだったかレベル。 とりあえず白飯はあったので目玉焼き丼を食ったが、写真はすっかり忘れていた。 晩飯は「炒り豚」を作った。 なんでも浅草あたりの食堂の看板メニューとかで、豚肉と玉ねぎをケチャップとウスターソースでブラウンソースっぽくして炒める。 まあハヤシライスのアタマみたいな感じだが、これが結構旨い。 家人がまだ帰宅しないので、ちろっとつまみ食いしただけ。 ぼくの夕飯なんてそんなもん