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西日のさす部屋

小学生の高学年になったころ、ぼくは初めて「自分の部屋」をもらった。
家は商店街の端っこにあって、かろうじてアーケードのかかっている中にあった。
隣は酒屋とたばこ屋。
青少年が育つ環境としては最高だ。
ぼくがもらった部屋は家の玄関の横で四畳半の畳敷きだった。
方角で言えば東側で、普通なら朝日の当たる場所なのだろうけれど、アーケードのお陰で丸一日火が差し込むことはなかった。
それどころか家の前の道路は少し離れたところを通っている幹線道路の抜け道になっていて、四六時中大型のトラックが行き交うのだ。
特に大きな車が通ると冗談でもなんでもなく地震級の揺れが起きた。

南側と北側は隣家だったから窓すらなく、昔ながらの商店街なので隣の壁とは数センチくらいしか離れていない。
生活音なんか丸聞こえだった。

さすがに親も気の毒に思ったのか、中学生くらいになったころ二階をすべて部屋としてもらうことになった。
東側に比べて西側は猫の額ほどの庭を挟み、これまた昔ながらの屋根がくっついた平屋の長屋に面していたから車が目の前を走ることもなく、静かで快適であった。
そして何より午後からは日がさした。

ぼくはそこで大学まで過ごした。
自分の部屋で沈んでいく夕日を見るのが好きだった。
沈んでいくといっても水平線とか地平線とかにではなく、夏場は少し離れた冷凍倉庫の屋根に、冬場は公団の向こうに沈んでいく夕日だ。
ガラス越しに差し込む夕日は部屋を見事なオレンジ色に染めた。
ぼくはそれを飽きもせずに眺めていたのだ。
時間にすれば短い時間だろうけれど、テレビもラジオも点けず、ただただぼんやりと眺めていたのだ。

そんなころに始めたギターで最初に弾けるようになったのは、当時人気のあった岸田智史の「夕陽のなかで」だった。

今住んでいる部屋は四面に窓があるから朝から太陽は差し込む。
西側の部屋は娘の部屋だから、そこから沈む夕陽を見ることはない。
ただ洗面所の窓からはすりガラス越しに夕陽が差し込む。
ぼくは今でもその光に足を止める。

なんのドラマもない、ただ夕陽に見入るというだけの話だ。
冬は太陽が低いから火の差し込む角度が深くて好い。
人生も折り返しを過ぎると瑣末なことが愛おしく感じるものだ。

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