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アルファロメオ

先日近所を徘徊しているときに出会した。
たぶん長らくエンジンに火が入っていないであろうアルファロメオ155である。
ぼくは、昔この車の赤いのに乗っていた。

ここではあまり書かないが、若いころにはずいぶんと車ではやんちゃしてきている。
はじめがゴルフ1のCというグレードのディーゼル。
以降ドイツ、スウェーデン、フランス、イタリアと行ったことはないけど国際的な経験だけは豊かになっていく。
その渡航歴の最後が、このアルファロメオ155だったのだ。

アルファロメオには都合3台乗っていた。
145、164、155だ。
155は、その前のペットネームが付いていた時代とは違い、フィアット3社による「ティーポ3」プロジェクトの一端を担い、プラットフォームの共有で生産効率を向上させる狙いがあった。
基本的にはフィアット・ティーポ、テムプラ、それとランチア・デドラとは兄弟車種である。

この3車では一番印象深いのが164だが、一番壊れにくく調子が良かったのが155だった。
2000ccの16バルブDOHCで5速ミッション。
左ハンドルのマニュアルだったが、それ以前に乗っていたシトロエンAXが、その仕様だったので問題なかった。

「調子がよかった」と書いたが、エンジンなどの話もそうだがエアコンが壊れなかったのだ。
他の2台はことごとくエアコンがイカれた。
リキッドタンクとエバポレーターを交換することで、だいたいのエアコン不調は治るし、それ自体は工賃も部品代もそれほどでもない。
しかし、それらに到達するために、とんでもなく面倒な作業がついて回るので、ともない工賃も跳ね上がる。
145だったか、そのためにダッシュボードを全て取っ払わねばならないらしく、さすがに閉口したものだ。
当時の欧州車はエアコンが付いていないモデルも珍しくなく、それらを日本に輸入にあたっては必需品といえるエアコンを無理やりに装着しているので、エンジンルームに余裕がないのである。

塗装はひび割れ(155というか、この時代のアルファはこうなりやすい)車庫でうずくまる姿は、どことなく哀しげではあるが、買取に出したところで値段なんか付かないだろうし(なにせ、30年落ちだ)、よほどの好事家でもない限り維持は大変だろう。
こうして土に還る(還らないけど)に任せるのが、唯一の余生の過ごし方かも知れない。

気が向いたら車についても書こう。
長くなっちゃうんだよなァ。

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