参考文献がついている文章は信頼できるのか

少し前に「本の中でも新書はよくないと聞いたのですが,本当ですか?」という質問を学生からされました。おそらく何かの授業の時に,そういう話を耳にしたのでしょう。

正直なところ,どんな本であろうが玉石混交で,新書でもハードカバーでもソフトカバーでも文庫でも,内容がとても充実していて役に立つ本もあれば,そうではない本もあります。新書かどうかで判断することは難しい問題です。どんな本でも中身を見て判断できるようになると良いですね,というのが教育的な反応かもしれないのですが,知識がない場合には難しいところです。

でも,形式的なところだけに注目しても,信頼できる内容かどうかを一定の確率で判断する方法もあるように思います。それは,「巻末に引用文献がつけられていること」です。

引用文献は必須

私たちはすべての情報をイチから生み出すことはできません。多くの情報には「元ネタ」というものがあるものです。すべてを自分だけで生み出すことができるような人がいたら,すごいことです。

また,情報を伝えるような文章の場合には,「その情報は他から来たのか,それとも著者が考えたのか」ということが問題になります。もしも何か新しいことを考えて書いたのなら,それが何なのか,どうして正しいのか,どうして妥当なのか,どうして良いと言えるのかなど,多くのことを説明する必要が出てきます。

さらに,何かを主張したいとしましょう。たとえば「これはあれと関係がある」という主張について考えてみましょう。

何かを主張する時には,論拠が必要になります。「私はこれとあれに関係があると思うから関係があるんだ」と言っても良いのは良いのですが,やはりそれでは論拠として弱いですよね。「勝手に思っているだけですか?」ととられてしまいます。

そこで,論拠として「誰それもそういうことを主張しているから」ということを持ってきてはどうでしょうか。これとあれに関連があると考えているのは自分だけでなく,他にも考えている人がいるんた,という主張です。この主張をするときには,「引用文献」が必要になるのは理解できるのではないでしょうか。

でも,その人がもし自分で考えていただけで「関連がある」と結論づけているようだと,やっぱりそれも論拠としては心許ないものになってしまいます。できれば何か,調査の結果や研究の結果を論拠として示すことができれば,さらに説得力が増すのではないでしょうか。そうなると,ますます引用文献が必要になります。

このように,何かを主張する文章に書くときには,必ず論拠となる「引用文献」が必要になるというわけです。

参考文献とは

文献にはもう一つ,「参考文献」というものがあります。これは,書いてある文章のどこにどう生かされているのかはわからないのですが,どこかにその文献のエッセンスが活かされている,というものです。

参考文献は,とても曖昧です。あくまでも「参考」なのですから,書かれた文章のどこにどういう内容が使われているのかもよくわかりません。もしかしたらそのまま引き写されてしまっているのかもしれません。

ですので,個人的には,学生の皆さんがレポートを書くときには「参考文献は書かない方が良いのでは?」とも思っています。もちろん,これはどんな分野のどんな文章を書くかにもよりますが,大学で書く多くのレポートは何かを論証する文章になるのですから,位置づけが曖昧な参考文献は不要で,明確な引用文献だけを書いておけば十分だと思うのです。

引用文献のある本を

というわけで,知識を得るために本を読むときには,少なくとも引用文献が巻末に載っている本を選んではどうでしょうか。その本からさらに知識を広げていきたいと思ったときには,その引用文献の中から次に読む本を探していくこともできます。

もちろん,何かの知識を得ようとするのではなく,楽しむための読書の場合には,引用文献にこだわる必要はありません。それはそのエンターテイメントを楽しむことができるかどうかが一番です。

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