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要注意な議論

前回,我田引水な議論の手法について見ていきました。今回もその続きです。

今回も,スティーブン・ピンカーの『人はどこまで合理的か』から,論点をズラしていく議論の例を見ていきましょう。


ゴールポストを動かす

さて,最初の方法です。「ゴールポストを動かす(move the goalposts)」というのは,議論している最中にこっそりと条件や論点をズラしてしまうことを指します。

全体的に何かをするように要求していて,形勢が悪くなると「あれはこの条件のもとでという意味だった」とか「これは全体ではなく一部という意味だ」という形で,最初に言った条件を縮小したり条件をつけたりすることはひとつの例です。

こういった議論を「モット・アンド・ベイリー論法」と呼ぶこともあるそうです。

モット・アンド・ベイリーは中世の城の建築様式の一つで,モット(小山)の上に狭いが堅固な塔があり,侵略者が押しかけてきたとき,狙われやすい平地のベイリー(壁で囲まれた居住地)が攻撃されているあいだに,人々はその塔に逃げ込むことができた)。

真のスコットランド人

「真のスコットランド人論法(no true Scotsman)」というのもあるそうです。「真の○○は……」と,カテゴリの一部に議論をズラしていく方法です。例外に注目させて逃げる論法とでも言いましょうか。

◎「スコットランド人は粥に砂糖をかけない」
 「でも,彼はスコットランド人だけど粥に砂糖をかけるぞ」
 「それは彼が真のスコットランド人ではないからだ」

ほかにも,本に挙がっていた例としては,「真のキリスト教徒は人を殺さない」「真の共産主義国は抑圧国家ではない」「真のトランプ支持者は暴力を認めない」などなど,応用範囲は広そうです。

論点先取

証明しようとする命題を,前提として使ってしまうことを「論点先取(begging the question)」といいます。最初に結論を前提であるかのように言ってしまって,次に論拠を示して最後に「だから」と最初の前提と結論として使ってしまうのがこの議論の例です。

◎「彼は真面目な人なんだから,遅刻をするなんてあり得ないよ」

「真面目な人」の中には,「遅刻をしない」という個別の行動も含まれます。ですから,前提とその後の議論が同じになってしまっています。

◎「彼は正直な人なのだから,噓をつくわけがない」

こちらの例のほうがわかりやすいかもしれませんね。「正直である」と「噓をつかない」はほぼ同じ意味です。

こうなってくると,循環論法になります。「彼は笑い上戸だからよく笑う」「彼はよく笑うから笑い上戸だ」というのもそうです。なお意味の増分といいますか,循環論法の中にエビデンスや既存の知識が入ってくると,循環論法でも意義が出てきます。「彼は笑い上戸だ。笑い上戸というのはこういう傾向があるという研究結果がある。彼がここで笑うのは,この条件を満たしているからだ」とか。

誘導尋問

論点先取は,誘導尋問でもよく使われます。本の中で挙げられていた例としては,家庭内暴力で捕まった夫に対して,警察が尋問する場面です。

◎「奥さんを殴るのをやめたのはいつですか?」

この聞き方は,殴ったかどうかの事実確認をする以前に,夫が奥さんを殴っていたことが前提となっています。

論点先取の誤用

少し面白い記事も見つけました。論点先取というのは,英語で「begging the question(BTQ)」です。この「beg」(ここでは「はぐらかす」)という単語を「beget」(生じさせる,引き起こす)と間違えてしまうことから,勘違いが生まれやすいとのことです。begという単語そのものに「尋ねる」という意味が含まれる点も,混乱を生みそうです。日本語だとこのようなことは起きなさそうですが……。

具体的に何が起きるのかというと,本来は結論を先に示すことがbegging the question(BTQ)なのですが,「質問をすること」「疑問を抱かせること」だと勘違いする例がよくあるのだそうです。「begging the question」を「raise the question」の意味で使ってしまうのです。

かつ,「begging the question(BTQ)は避けるべきだ」としばしば習うものですから,これを「質問をするべきではない」「疑問を回避すべき」と解釈してしまうことになります。

これについては,そもそも「beg the question」という英語にしたこと自体が誤りだったのではないか,という説もあるようです。翻訳は厄介な問題を引き起こすことがありますね。

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