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おういつ

*前のアカウントで書いたものをお引っ越し


 待ち合わせ。ドトール。壁沿いの席に座ると、正面のカウンターに女の子。イヤホンを耳に、真剣な表情でテキストを読んでいる。ケーキセットをトレイに乗せた女性がその横を通りがかり、机上の鞄に体をぶつけた。ピタゴラ式にコーヒーが倒され、水浸しになる。女性はそれに気付かず着席し、いただきますをする。女の子の信じられないという顔。暫し放心のあと、スマホや文房具を雑に救出し、時間をかけてうんざりしてから、レジへ向かう。布巾を借りてきて、目の前でケーキを頬ばる女性に一瞥もくれず大惨事の机とひとりで格闘する。コーヒーの溢れた受け皿をバランスをとりながらレジに運び、暫く後店員さんを連れて戻ってくる。あらかた水気を引き取った机上を、プロの手つきが整えていくのを眺めながら、女の子は被害的でも、ふてくされてもいない、ちょうどいい塩梅の顔で、何度も「すみません」と言った。全てが元に戻ると、鞄からハンカチを取り出し、スマホを拭いた。慎重に電源をつけ、勉強道具を広げ直す。店員さんが入れ直したコーヒーを持ってくる。女の子は、明るい笑顔で受け取った。

「すみません、ありがとうございます」


 それを、ただ目撃している私がいた。
 変なポーズの忍者が描かれたティッシュを握りしめ、不審者のように釘付けで。
 ただじっと、何もしない私が。

 勇気が出ないから声を掛けられないのではなく、本当に手伝いを必要としていないのだった。

 無言でスマホを弄る彼女は、今の出来事をSNSで呟くだろうか。知り合いに連絡するのだろうか。その文章が、やりすぎなくらい怒りに満ちていて、ずるい言い回しでたくさんの労いを集めていればいいのにと思う。

 彼女に恋人や家族や親友はいる? 芸術や信仰が機能を果たしているか?
 もしもそれらが存在するなら、早くここ、この全国チェーン店の息苦しい店内まで飛んできて、彼女を抱擁して。それが、君たちが生を受けた意味の全てだ。

 こういう目撃は、人生にときどき訪れる。名前も与えられない通行人になって、他人の本質を垣間見るような。私がこの先一度も抱きしめることのない人間の、内在する愛を知るような。
 電車で席を譲るより、匿名で意見を言うより、締め切りに追われて小説を書くより、そういう傍観のときに、1番、生きていることが試される。


 そして私の知っている人たちにも、きっとこういう、隠された優しさや痛みがあったのだと、ほとんど決定事項のように思う。
 大学の廊下で、駅の片隅で、バイト先の小部屋で、涙を堪えながら人を思いやった瞬間が、誰にも見えないよう隠し通した感情が、全ての人にある。

 友達に恋人ができて祝福するのは、その子のそういう瞬間が、存在ごとぜんぶ抱きしめられたのだと嬉しくなるからだ。
 或いは、推し語りが止め処ないとき、呆れ顔で相槌を打ちながら、彼女がそれに救われた夜に、もたらされたパワーに、ライブに行くため手を汚した化粧品のテスターに、思いを馳せる。

 本当に身勝手で気持ち悪い、アカン方の夢女子じみた考え方というのは深く承知している。けれど、どうしても、失礼にならないよう半信半疑で、でっち上げない程度にふんわり軽く、君の絶望に触わってしまう。希望を描いてしまう。

 美しくて取るに足らない真実は、その推測によって、一層他人を愛おしくさせる。

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