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【考え事】成功談は、ノウハウとして役に立つのか

合格体験記を書かされたときの記憶

高校を卒業するときに、学校に頼まれて大学の合格体験記を書いたことがあります。そのときは、これを読んで一人でも役に立ってもらえればという気持ちで、高校3年間にやったことや使った参考書などを書いたのですが、これ、どれだけの意味があったのでしょうか。

どうしてそう思うかと言えば、その体験談は私がこう思うという体験談でしかないからです。

野村克也さんの言葉

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしという野村克也さんの有名な言葉があります。

この参考書を何時間やったから受かった、先生のこの言葉を聞いたから頑張れて合格できたというのは、その本人がそう言っているだけであり、全員に当てはまるわけではありません。前提となる知識をどれだけ持っているかは個々人で違います。苦手なのか得意なのかで、使う参考書はまったく違うはずです。先生による向き、不向きもあると思います。真に受けたら失敗するケースもたくさんあると思います。

成功談や合格体験記のようなものは、それを読んで自分を奮い立たせるためにある程度のものであり、ノウハウを参考にする目的で存在するものではないと思います。

失敗に学びたい

それよりも、失敗に学ぶことを考えた方が良いのではと最近、思うようになりました。

しかし、私の合格体験記も含め、世の中にあふれる読み物や講演会、セミナーは、程度の差こそあれ、何かしらうまくいった人ばかり登場します。当たり前です。成功した人は話したいだろうし、失敗した人は話したくないでしょう。

新聞記事も実は似ています。特に経済系のインタビューは成功者の話ばかり。面白くないんです。失敗してきたといっても、最終的にはうまくいっていて、それを話すがためのエピソードになっている。その人にしかない恵まれた境遇、巡り合わせもあるかもしれないのに、こうしたからうまくいった、ということばかり書いてあるのです。

私に当てはめれば、合格体験記は「こうしたものはうまくいかなかった」と書いた方がよかった。あるいは、ベクトルを変えて、読む人を奮い立たせる書き方を考えればよかった。

うちの新聞を含め、そういう読み物が読めたらいいなと。テレビで「しくじり先生」という番組がありますが、まさにあれの文章版みたいなものでしょうか。

このご時世的にも、必要なこと

ここ最近、世の中でもさまざまな失敗がクローズアップされています。しかも、それらはいずれ検証されなければいけないでしょう。それだけに、失敗からどう学ぶかという姿勢は大事だと思います。


=写真は岐阜県大垣市の貨物専用「西濃鉄道」で貨物列車を待ち構えていたのに時間を間違え、来なかったときの様子。ダイヤは入念に確認する必要があることはもちろん、ネット情報とは変わることがあるので余裕を持つことが必要です。これも失敗談ですね。

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