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人の作品の長所を見つけられる人は作家向きで、短所を見つけられる人は編集者向きという話


人の作品を見て長所ばかり目につく人は作家に向いていて、短所ばかり目につく人は編集者に向いているという話を聞いたことがある。

短所も長所もバランスよく見れるようになった方が良い!というのはその通りなんだけど、これはどちらかといえば気質の話だ。作家になりたい人は「人の長所を認められるようにならなくちゃ…!」と思うかもしれないし、まあその努力はとても良いことだと思うが、まずは現状として自分はどちらの傾向が強いかを考えて見ると良さそうな気がする。

長所ばかり見つけられる人は、端的に言うとあらゆる物語の特徴的な部分を感じ取りやす人だと言えそうだ。そして、他の人の良いところをコレクションしながら、それとは違った自分の特性を発揮することができる。しかし、他の人の作品を読んでも凄いすごいとなるばかりなので、じゃあこの作品をどうすれば良いかと尋ねられても答えることができない。ただ「凄いです…!」と圧倒することしかできないのだ。一般的には性格が良さそうに見える場合が多いと思う。

対して、編集者向きの人は、独創的な発想は出てこないが、「ここがダメだ!」という点をどんどん発見することができる。そして、「だから、こうなおせば良いんだ!」と教えてあげられる人が、編集者として機能するのではないだろうかと考える。適切な助言を与えられるのは技術として身につけることができるけど、それ以前の「短所 = 問題点を発見する」というのは、気質によるところが多い気がする。

さて、自分を振り返って見ると、僕はどうも、他の人の作品を読んで短所を見つけることの方が得意なような気がする。元々は自分で小説を書いていたのだが、だんだんと人の作品を発掘したり助言をしたりと編集者的な立ち回りになってきたのは、この気質に気づいたからだということもある。

しかし、もちろん編集者は短所ばかりを見つければ良いというわけではなく、その中でも磨けば光るタイプの作品を探し出す必要がある。そして、そのダイヤの原石を磨かなければならない。

作家が一人でも生きていける時代で、自分が編集者的な立ち回りをするときに、どのような価値を作りだせるだろうか。最近は、そんなことを考えている。それを実践する場が、僕にとってはpixiv chatstory蓼食う本の虫だったりする。

というわけなので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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