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自由という制約

自由を求めると
不自由になるんだよ
制約こそが自由なのだよ

更新しない、やはり三日坊主がやって来てしまいました。
書く内容がないわけでもないし(むしろ沢山あった)、書く時間がないわけでもない(多分捻出すれば短いものはかけたはず)ので、単純に自分の良くない部分がただ表に出て来てしまっただけだと思う、反省。
けど、書きたいときに書くっていうのが一番の薬だし吐き出しだと思うので、これはこれでいいのだ、とバカボンのように納得をさせる。

さて、実を言うと夏休みを自分で9/6から9/10まで作り、マレーシアに行って来た。詳しい話をするつもりはないし、してもただの観光記事になってしまうのでやらないけれど、ただただこんな日々がずっと続いたらなぁと思ったのは確かである。

自由。

多分ほぼ全ての人間がこの言葉を求めていると思う。それも物理的にも精神的にも。この一言を発する魔力は何にも耐え難く、そして気持ちがいいものだ。

ただこの「自由」、そんな簡単なものではない。物理的な自由にも制約があり、日々やらないといけないタスクがある為、なかなか何もしなくていい、や好きなことだけしてればいいというのもない。精神的な自由を求めるにも様々な障壁を削除した上で成り立つ為、生半可な生活ではそれもなかなか難しい。

例えば物理的な自由を得るためには人との関係や仕事のしがらみなどをクリアしないといけない。一番手っ取り早いのは仕事を辞めてしまい、どこか遠くへ行ってしまうのが一番楽な気がする。完全に身が自由になる。
しかし反対に日々の衣食住、将来など、様々なことに対する不安やお金など精神的な自由が大幅になくなってしまう。

では逆に精神的な自由を得るとどうだろう。お金がたんまりあり、将来が安定した職につく。お金によって衣食住は安定する為、かなり気持ちは楽になると思うが、仕事に追われたり、やりたくない仕事をしたり、人間関係で辟易するかもしれない。時間に追われ何もできない可能性さえある。
物理的な自由がなくなってしまっている。

ではビルゲイツレベルのお金持ち、マーティンギャリックスレベルの身の振り方はどうなるのだろう。ビルゲイツの場合は好きな仕事という面では自由だし、お金で全て解決することができる。しかしマーティンギャリックスの場合は日々何処かの国で夜クラブでDJを行い、その移動時間で曲を書き、楽しいが物理的な自由はなかなかに大変な気もする。

そういう意味ではお金というワードが自由を底上げすることは確かであるが、必ずしもそれだけではないことがわかる。
解決策はない。どこを持って自由で楽しいと思えるかである。

自由を得るのは大変だ。丸々の自由を得るならば、逆にひとつやふたつ、制約をつければ良い。その制約の中での最大の自由を描くのだ。それが回り回って結局はトータルで自由の期待値が最も高くなると思う。

自由になろう。そのための準備は怠らない。

#freedom #自由 #お金

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