自分の理想は自分自身であるー「かもめのジョナサン完成版」を読んで
よく晴れた日の朝。私は「かもめのジョナサン完成版」をkindleにて購入した。高校生の頃に読みたいと思っていたのだがいつか読もうと思って後回しにした結果今日になってしまったのだ。
その他大勢のカモメのように振る舞うことができずに群れから追い出されたカモメのジョナサンが「飛ぶ」ことを追求していくことによって生きる目的や自分らしさを見つけていく物語となっている。
この本は「アルケミスト」のように物語をベースとしながら人生に必要な教訓が散りばめられているような構成になっており、物語それ自体というよりはそこから何を感じ取るかがこの物語を読む上でのカギとなっていると思う。
そこで、本の内容について語るよりはこの本を読んで私がどう思ったかを書き記した方がこのnoteで書く意義はあるのかなと思う。
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世間の普通に染まりその線路の上を歩いていくことは新たな道を開拓することよりは楽であり、他の多くの人が歩いている道なので歩き方も歩く向きも示されているし批判されることも少ない。
でも多くの人が従っているからといってそれが私の普通であるとは限らない。
もちろんそれが私の普通であるかもしれないのだが、無批判に世間の普通を受け入れてしまってはそれが自分のやりたいことなのかどうかは分からない。
そういう世間の普通という枠から一歩抜け出す時には批判がつきものである。その批判はだいたいが、同じように世間の普通から抜け出したくても抜け出せない人からの批判であり彼らが新しい世界へ挑戦しようとするものの足を引っ張るのだ。
そういう人たちはできない言い訳を探すことによって本当に自分たちがやりたいことが見えなくなっているのだ。
その世界の普通から抜け出すためにはその世界で新しいことを見つけ、学び、それを生かすことが大事になってくる。その道はその他大勢が通っている道ではないので並大抵の努力と想像力ではたどり着けないかもしれない。
それを乗り越えることによって新たな世界が待っている。その世界は自分が今まで見たことがなかった世界かもしれないし自分が今までいた世界なのかもしれない。
でも今いる世界の普通を無批判に受け入れずに自分自身を探してみることで自分の思想を体現することができるしそれが他の人の選択肢になり得ることもあるのだ。
前例があるかないかはそこには関係ない。
現実に囚われすぎていては想像力や自分自身にも制限をかけてしまうことになる。
どういう自分になりたいのか?
自分の理想とは何か?
この疑問を持ち追求し続けることで自分の思考を体現することができるのだと思う。
でも自分の理想を思い描きそこに辿り着こうとする時に、それに近いことを体現している人を自分の理想として近づこうとしてしまう。
他の人を自分の理想としてそれに近づこうとすることで自分ひとりでやるよりは学びも多いし模範があることでやり方も示されているのかもしれないが、
それをマネしているだけでは全く同じものではないにしろ結局その人のコピーになってしまうのではないか。
そもそもその人に憧れたのは自分の理想に近くてそれを体現しているからであって元々の自分の理想こそが目指すべき場所だということを忘れてはいけないのだと思う。
最終的には自分の理想は自分自身が作り上げたその思想の中にあるものでありそれを体現することによって自分の理想に近づける。
だから自分の理想は自分自身であると言えるのかもしれない。
そこに近づくためには自分の理想に近い人のマネをするのではなく自分自身との対話を忘れず自分の思想とは何かそれをどう体現するかということに集中することが大事なのかもしれない。
自分の思想とは他の誰のものでもなく自分自身のものであるため、結局自分で答えを探さないといけない。だから時間がかかってしまう。その結果一生をかけても自分の思想、理想とは何かを見つけ出すことができないかもしれないし、見つけ出すことに精一杯でそれを体現することができないかもしれない。
それでも盲目的に世間の普通に従って生きるよりは自分らしく生きたと胸を張って言えるのかもしれない。その自分らしさは他の人には何の利益にもならないとしても。
読む人によってこの物語の捉え方も感じ方も違うと思います。気になった方はぜひ読んでみてください。
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