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ツールドおきなわ2022市民210 39位

3年ぶりに開催されたツールドおきなわ2022へ参戦。
ここ数回、そのトレーニング記録的にブログを記載してきたが、今回はレース記録を中心にトレーニング、機材、補給、更に次へ向けた心構えを記録として残しておく。

1.  レース概要

このレースは沖縄県北部を8の字を描くラインレース。2020,2021年は開催中止となり、今年は3年ぶり開催となった。
自分が走る210kmは市民レーサーが1年で最も優先度高いレースとして照準定め、参戦する人が多い。自分もその意気込みであり、過去54位(2017),18位(2018), 35位(2019)というリザルトだった。今年も上位へ食い込むべく特に9月以降練習を重ねてきた大事なレースである。
序盤70kmは平坦、その後西海岸〜東海岸へ横断する際に標高差300m程度ある普久川の登りがあり、これは最北端を周回後、2回目がある。その後東海岸を名護へ向かって南下するがアップダウンの連続。特に南下直後の安波小学校の登りは急登坂で勝負所。また名護手前に200mほど登る羽地の登りがある。それでも集団の場合はゴールスプリントになる。
獲得標高は2800m越えの国内では屈指のコースと言える。

名護発着で本部半島〜西海岸〜普久川の登り〜東海岸〜最北端〜西海岸〜普久川の登り〜東海岸〜名護と回る

2. レース準備

トレーニング編

9月は200kmを走り切るための基礎体力をつける期間とした。週末にロング、平日はzwiftを活用し、9月末には赤城山HCでFTPレベルを意識したトレーニングを入れた。2000km,60h,3600TSSのボリュームになった。
10月はレースを意識したロングでトレーニング中盤に高強度を入れたり、平日のワークアウトでクリスクロスやVO2maxインターバルを導入。月間2600km,75h,4700TSSほど積んだ。ただし腰痛が再発と格闘しながらの準備だった。
また現在2歳の息子がおり、朝飯を作り散歩、午後は一緒に遊ぶパターンの関係上、休日は原則8~12時がトレーニングタイムという制約もあった。

機材編

レース機材構成は下記の通り
・フレーム:emonda SLR Disc
・コンポ:DURA ACE R9200 52-36 11-30T
・ホイール:AEOLUS RSL51
・タイヤ:S-WORKS TURBO RAPID AIR  2BILESS 26C
・ハンドル:S-WORKS SHALLOW BEND 380mm
・サドル:S-WORKS POWER 143mm
・ステム:FIZIK アルミ110mm
・ペダル:Favero assioma
・ヘルメット:KABUTO AERO R 2
・シューズ:S-WORKS7
・サングラス:オークリー ジョーブレーカー
       レンズ:サードパーティー製のクリアレンズ

この中でトピックはまずタイヤ。新製品のチューブレスタイヤを使用。
比較的軽く、グリップが高いのが特徴。アップダウンが多くて雨天時は滑りやすい沖縄にもあっている。重量は公称230gに対し下記。もう1本も239gだった。

フレームはVengeも所有するが乗り心地の良さからemondaを選択。ホイールはAEOLUS RSL37と一瞬迷ったが、急勾配はないので51mmを選択。今回補給がペットボトルなのでボトルゲージはダウンチューブ側を径可変のゲージを装着し、サイクルボトルではきつめ、ペットボトルでは若干余裕あるがホールド可能な状態とした。

50g以上あるが底部のネジで開口径可変できる


重量は7.23kg(サイコン&ボトルなし、ペダル&ゲージ&サイコン台座込み)。持ち合わせ機材でもっと軽くできるが、トータルバランスを優先した。

補給食編

補給食は下記
・Magonジェル5本(内4本はフラスクへ移し替え、1本はジャージ太ももへ挟む)
・スポーツ羊羹5本
・CCDドリンクパウダー3袋
・Magon顆粒3つ
・イオンウォーター900mlを2本
→上記3つを3本のボトルへ詰めた
・ミニアンパン2つ
・アミノサウルス3本(マラソン界で最近知られるサプリ)

写真にプラスしてミニあんぱん2つも所持

今年はニセコクラシックも全日本マスターズも足攣りが発生したため、マグネシウムは十分すぎるくらい準備。ボトルも3本体制とした。1本は背中ポケットへ。
意図の1つは序盤から十分水分補給をとるため。もう1つは3回補給のうち2回目は取らない予定のため。理由は2回目は例年勝負所の学校坂という区間が近いためペースが速い。下りは不得意なので補給を素通りするためだ。

レースの心構え(作戦)編

まず大前提は無事に帰ってくる事。
選手として戦うが仕事もするし、子育てもする。怪我をしてはその"大事な、大事な"役割を果たせないので、無事帰還する事が本当に大事である。次に練習の成果を出し切る事。中途半端な走りは後悔する。最後に良いリザルトを出す事。その3つだ。
レースの作戦は序盤は体力温存、普久川の登り2回目からは持てる力を存分に発揮すること。そして過去最高のリザルトを出す事である。
よって序盤は集団中程で風よけしながら固形食をとり2回目の普久川の登りまでに食べ終える。その後はジェル。水分は500ml/1hを目安にして3本持参+2本補給=5本。自転車レースは食事しながら戦うという奇妙な特性がある。エネルギー消費が激しいためで補給戦略がとても重要である。このレースも4000kcal以上消費する想定である。
位置取りは勝負所に来たら集団前方へ移し集団の動きに即反応できる体制をとる。(集団後方は攻撃に反応できない)
レース展開予測は近年傾向から学校坂の一発では集団は絞れない。よって2回目の普久川の登りで激しい攻撃が始まると予想(前回大会の経験的に)。

3. レース

スタート〜1回目普久川登り(70km)

5時に起床し、消化の良いパンや、サプリ、ドリンクを摂取し会場へ。天候は雨で路面ウェット。タイヤ空気圧はFr5.5bar Rr5.7barとした。スタート号砲は元SMAP、現在オートレーサーの森且行選手。

7:27にレーススタート。直前に心拍数100が見え緊張していた。最初いきなり15名程度が飛び出す。全選手が200名で有力選手も飛び出したので集団は容認せずすぐ吸収。例年はあっさり決まるが今年はアタック合戦。
逃げる心理は誰よりもゴールへ近づくこと、メディアへ露出度が上がること等あるが今回は後者の要素は結構大きい。

その後、本部半島が終わる50kmには数名の逃げが成立した模様。自分は登り前までとにかく温存に心がけた。

1回目普久川登り〜奥(100km)

西海岸を北上していくが登りが始まる直前に2回トンネルを通過する。2回目のトンネル通過直後にすぐ登りが始まるのでそのトンネル前までに前方へ上がる。ちなみにこのコースのトンネルは結構暗いのでレンズは透明度が高いレンズを使用した方がいいと思う。

登坂開始すると負荷が上がるが、集団のまま。勾配は序盤に10%程度と緩斜面を繰り返し、頂上へ近づくと緩斜面になる。無事頂上通過し下りになる。今日はウェットなので皆慎重。左車線側はμが高そうな赤アスファルト舗装をうまく使い、右コーナーの外側は砂利が貯まるので絶対踏まない、センターラインも両輪で踏まないなど考えて下る。

その後補給を貰い、本島最北端の奥の集落を通過するとちょうど100km地点に到達する。

奥〜2回目普久川登り(120km)

奥を過ぎると11分程度の登りが始まる。今回も例年同様十分対応できる強度で登る。

ただし頂上手前でやや強度があがった。そして下りが始まると集団が長くなった。誰かがペースを上げている。

大本命高岡選手だった。

正直目を疑ったが、ここから最後まで逃げ切りは難しいので自分は集団待機。ここでアタックして抜け出すのは前待ち的な動きを狙ったのかと思った。先行しておけば、後で集団で強度が上がって削り合いになっても先行した選手はその削り合いで抜け出した選手と合流し、そのまま先行できるメリットがある。
でも集団から一時的に抜け出すことは体力消耗が激しいため賭け要素もある。

最北端から南下始め前半は快調だったが、登りが近づくとペースが緩む。実際、自分が先頭引いたとき強度一定だが勝手に単独で飛び出す。ペースが落ちれば先行選手との差は広がる。これは高岡選手の術中にハマっているとその時点で悟った。

2回目普久川登り〜学校坂(140km)

2回目の登りは1回目よりも明らかに強度が高い。クライマー脚質の選手が積極的に牽引する。自分も遅れを取らじとついて行く。

そして決定的な事件が起こった。

比較的緩斜面で25km/h以上で登る場面だった。前方の選手が落車、進行方向に対し直角に体が倒れる。もう避けようが無かった。

そのまま倒れた選手にぶつかり前転するように宙を舞った。

体の右側が地面に打ち付けられてサングラスが飛んだ。

右STIレバーが削れ、チェーンが落ちる。すぐに立ち上がり体をチェック。致命的な痛みはない。ホイール、フレーム大丈夫、チェーン外れたので直す。パンクしてない。即座にチェック。サングラスを拾う。ちなみにサングラスはヘルメットの紐の上を通す方が良い。もしレンズが割れてもなおサングラスが外れない場合(紐の内側にサングラスをかけた場合)、最悪目を傷付けるからだ。恥ずかしながら今年初めて知った。

4名ほど落車したが大怪我はいないようだった。しかしこの落車で約40秒停止。集団は全く見えない。

二度と追いつくことは無かった。

若干失意の中追走し、頂上から下り始めてすぐに別の落車現場へ遭遇。こちらは結構ダメージデカそうだ。減速して通過してダウンヒルをこなす。
ダウンヒルが終わり2回目の補給は予定通り受け取らず。

学校坂〜慶佐次(げさし)(175km)

単独で本来勝負所の学校坂を登る。しばらく単独になりそうなので登りはFTPレベル、平坦と下りでしっかりペース刻むようにした。

この時失意の走行だったが、レース前に心に刻んだ3つの大前提を思い出す。

無事に帰る、出し切る、少しでも良い結果を出す

その言葉が再度踏み直す気持ちを与えた。大金払って、何よりこのために多くの練習時間を費やしてきた。3年間待った。
この後流しでゴールまで走るのはゴール後の自分が納得するはずがないと思った。

そんな矢先、背後から2名選手と合流し3名回しで走るが1名はすぐに離脱。2人回しになった。
ジャージを見るとmkwとある。愛知のチームだ。自分も同じ県出身だと伝え、多少話しつつ2名で回す。前へ追い付く気持ちでお互いかなり踏んだ。それが慶佐次手前まで続いた。

そこで140kmの集団に追いつかれる。普久川で遅れたはずの210km選手が後ろついている。おきなわのレースのこの区間の追走は強い順に走るわけではなく、いわば、クレバーな要素も大いに貢献する。その集団のまま慶佐次の補給所へ到着した。

慶佐次〜羽地登り(190km)

慶佐次の補給所で水を受け取り5分弱の坂を登る。40km近く2名回しで脚が削られ140km部門の集団から千切れた。

残された210kmメンバーで回していく。この時天気は回復し気温はサイコン表示で32℃。湿度も高い。地元の人曰くこの暑さは沖縄の人でも堪える暑さだったようだ。

水分とジェルを頻繁に補給するが、胃腸も元気がない。実は2日ほど前に胃腸の調子が良くなく、事前の栄養補給(カーボローディング)にも苦戦していた。

有銘(あるめ)の登り(5+3分ほどの2コブ)が始まるが、更に遅れを取る。乗り残されえた3名ほどの選手と4名回しで羽地まで到着した。

羽地の登り〜ゴール

羽地の登りは標高差200mを登るが、前半は8%ほどの勾配、徐々に緩斜面になり、最後はアップダウンを繰り返して下りの入る。

この頃にはほぼ脱水、熱中症を併発した様な状態に陥った。意識がやや危ういが、自分を鼓舞して何とか保つ状態だった。3〜4倍の出力で登った。
下りはふらついて落車しない様にだけ気を付けて何とかゴールへ到達できた。

レース後

レース後はしばらく呆然と立ち尽くした。

自分の中ではこれだけ取り組んで、その結果が39位。

悔しさや次への闘志とかあまり出てこず、どうしようもない複雑な気持ちをどう処理して良いのか困惑した。

ただ妻と息子が視界に入りまだ言葉の出ない息子がニヤっと笑うと何か和んだ。無事帰還できて、すぐ父親業ができるという安堵が出てきた。

その日は終始モヤモヤが続き、レースを振り返りたくないし、you tubeのライブ配信も見返したく無かった。辛うじてプラスの気持ちになった際にレースのツイートをしただけだ。

しかし数日経った今はレースブログを書く気になったし、ログも見返した。
その際、1つ面白いパラメータを見つけた。garminのスタミナというものだが、今回のレースは下記状態だった。
中間に2度、大きく落ち込むのが普久川の登り、そして4時間40分でほぼゼロになったのが力が出なくなったタイミングとよく一致していた。
サンプル数1であるが、これを目安にレース強度で走って5時間半持てば最後まで力強く走る事ができる、良い練習指標になると思った。

白線が潜在的スタミナ

少し冷静になって、なぜ自分が落車に巻き込まれたかを考えた。
原因はあの場面で集団中程を走っていたためと思う。割と集団が削られる強度で登っていたが、そんな勝負場面ではちゃんと前方をキープしなければならない。登り口では前から3番目位を走っていたが、その後学校坂の事を考えてしまい、高強度の中でも省エネと考え、わずかに強度を落として集団の中に潜ったのだ。そして落車のリスクを負って走り、結果落車に巻き込まれた。つまり勝負所で十分戦う自信が持てるほどしっかり練習が取り組めてなかった。ここは厳しいが自分の落ち度である。そんな反省点はまた修正していきたい。

今は定性的考察だが、今後数値データを見返して具体的対策へ落とし込んでいきたい。

3. 今後

これで今年のレースは終了し、来年春まではオフに入る。
まだ来年の事は考えず、ひとまず休みを取ることにする。とはいえzwiftのレースはこの冬もやる予定。しばし休んで自由に自転車乗れば、きっと再び闘志が湧いてくると思う。前回のおきなわから3年間、諦めずに続けてこられてお疲れ様と自分自身を労いたいと思う。


2日後の地元新聞1面にレース記事があり背後に小さく自分が映っていた

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