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謙虚になりたい

謙虚とは

ググってみると日本語辞書の多くは「謙虚」を「控えめで、慎ましいこと」と、人の態度や人柄を表す言葉として定義しているものが多いようだが、これはあくまで、外から見た「謙虚」な人の様子でしかなく、確かに正しい観察結果ではあろうが、この定義から我々が「謙虚」であるためには、「控えめで、慎ましいこと」と言う見た目の態度を模倣するだけでは、それで私たちが「謙虚」になれるわけでもなく、単に他人からみて「謙虚」に見えると言うだけで、本質的な「謙虚」には程遠い。(もちろん、長い時間をかけて見た目や行動だけを模倣することで、その「謙虚」な態度にいたる考え方や判断基準などを、逆引きで学ぶこともできるのかもしれない可能性を否定するつもりはないし、行動によって学ぶことは多いと経験的に思う。)

謙虚であるために

「謙虚」であるためには、単に見た目の態度や言動を真似るだけではなく、「謙虚」な思考様式と価値観に基づく「表情」や「態度」や「行動」が結果として、側(はた)から見て「謙虚」に見える必要がある。つまり、謙虚な人はどんなふうに物事を捉え、受け止め、謙虚な人はどんなふうに思考し、どんなふうに判断するのか、を身につけ、行動へと転換できない限りは、「謙虚」な人にはなれないのだと思う、たぶん。

あのOxford University Press(英国オックスフォード大学の一部局として世界規模で英語教材から絵本、専門書、学術書、辞書を出版している) が提供するOxford Languages(辞書などを主に提供しているプロジェクト)では、この「謙虚」を

「自分をえらいものと思わず、素直に他に学ぶ気持ちがあること」
「自分の能力や所有物についてあまり自慢げに話さないこと」
「自分を他人より重要であると思わないこと」
「他の人から注目を集めるような行為を慎むこと」

と定義している。日本語の辞書とは随分と違うものだ、とちょっと驚き感動した。こっちの方が謙虚の本質を突いているように感じるのは私だけだろうか?

これまで行ってきたワークショップに参加なさった方や、Facebookライブをご覧になった方にはおなじみではあるが、私はいつも2つのことだけは絶対にしないでほしいと約束をお願いしていることがある。
それは違う、と言わない
(自分が正しく、相手が間違っていると指摘しない)
そんなことは知っている、と言わない
(相手から学ぶ気持ちを持たず、学ぶ機会を放棄しない)

ただ今にして思えば、この「Don’t(~しない)」と言う禁止事項の「約束」は、誰にでもわかりやすく効果的である反面、ネガティブな受け身の行動抑制でしかないために、自分で考えなくなり盲従する危うさもあるので要注意だと思い直した。自発的により良いポジティブな行動へと発展していくのが難しいメッセージになっているように思える。

せっかくの新年の投稿なので、「〜しない」の否定系だけではなく、肯定系とのハイブリッドで「謙虚」であることを再定義してみると、

それは違うと言わない=誰よりも無知であると思える人に、 
そんなことは知っていると言わない=誰からでも学べて行動できる人に、

そんな人になりたい、よね?
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