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言葉にする。

『人は考える葦である』

私が大人の階段を登っていた頃、確かにこのステップは登っていて、素直だったのに何もかも疑い始めた。確か友人関係がきっかけだったが、そこでデカルトの I think, I am. に出会った。

この人は、何もかもを疑って、しかし疑っている自分の存在は疑えない、と至った人。もう500年ほど前の人だが、当時の私は多感な子供の頃にふと抱いた疑問に敢えて向き合っていた。

葦とは、野池などに生える草である。それと私たちは大して代わらない、と現したのが始めの言葉。このパスカルもその時代の人である。日本はと言えば、信長秀吉により天下統一がなされ、徳川幕府が始まっていた時代。

敢えて、言葉にしなくても良いテリトリーがある、とは思っている。ただ同じ場所に居ても違う世界に居るな、と感じることもある。言葉は道具のひとつで、要らない時もあるし、剣を凌ぐこともある。

ありがとう、とか
ごめんなさい、とか。

500年前の言葉が
今でも響く。

ロダンの考える人、いつか見れたらなぁ。

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