「分からなさ」は可能性だから好き

 分からない、ということに対して前向きになれたのはここ数年のことで、主に作家の中村航さんと声優の南條愛乃さんのおかげなのと、ヴァージニア・ウルフの作品で書いた卒論でも似たテーマを扱ったことでいっそう、分からなさに対する前向きさは強くなったと思います。
 この前向きさを身につけられたことを結構嬉しいと思っていたところでまた同じテーマに出会った、と大好きになってしまった物語が、去年の夏に映画が公開された「ペンギン・ハイウェイ」でした。
 そして映画の感想をまとめようとあれこれ書いてきたものをまとめていたら、関連する他の作家さんや作品についても結局書きたくなってしまいました。
 それぞれの作家さんや作品に対する感想というよりも、作品から思い起こされた色々なこと、という感じになっているかもしれないですが、自分が出会ってきた・自分を作ってきた言葉たちのこと、好きに書いていきたいと思います。

   *

1.中村航さん

 さて、まず冒頭で書いた、分からなさに対して前向きになれた、という話からさせてください。
 私にとって恩人と言っていい気がしますが、その1人目が作家の中村航さんです。代表作は『100回泣くこと』『夏休み』あたり?  あとはバンドリ! プロジェクトでPoppin’Partyの作詞なんかもされています。最近はArgonavisも。
 一番好きな作家さんの一人で、まず何より文体のリズムの良さが好きで、日本語の遊び方なんかも好き。

 そしてもちろん物語の展開も。高校生から大学前半の頃に好きな理由として言語化していたのは「登場人物が何かを乗り越えて前に進んでいく姿に説得力があって、自分も前に進んでいこうと思えるから」といった感じだったと思います。

 ただ、その印象も大きいですが、大学の後半くらいからのここ数年はまた別の側面を印象的に感じることも増えて「過去に遡って現在が救われて、新しい何かが始まるところが好き」という言葉で説明することが多いです。
 航さんの作品を読んでいると、現在は、実は過去から繋がってきたものなのだ、という当たり前のことを発見した気分になることがあります。意識していなかったような過去の出来事が現在にまで届いて繋がって、新しい物語になる、という流れには説得力があって気持ちよくて、航さんの作品のそういう瞬間が私は大好きです。

 そういった作品の中で、私が一昨年くらいに再読して響いた作品が『星に願いを、月に祈りを』でした。
 その中から「分からない」ということにまつわる箇所を以下に引用します。

 君はまだ、自分の願いがわからないのかもしれないな。自分が何をしたいのか、自分に何ができるのか、自分が何をすべきなのか、君にはまだ、そういうことがわからないのかもしれない。
 だけど心配はいらないんだぜ。そんな君だからこそ、行ける場所があるんだ。
 今わからないってことは、未来の歩幅を広げてくれる。わからないからこそ、君は進む。そんな君にしか、辿り着けない場所があるんだ。
 いいかい?
 君はいつかきっと、自分がしなきゃならないことに気付くことができる。
 だから簡単に答えを出そうとしなくていい。無理に答えを出さなくてもいいんだ。
 まだ願いのない君に、小さな約束をあげよう。
 〝君はいつの日か、君が本当に届けたい人に、本当に届けたい何かを届けるんだ〟
 〝君はいつの日か、本当に届けたい人に、本当に届けたい想いを届けるんだ〟

(中村航(2012)『星に願いを、月に祈りを』小学館)

 これを読んだのがちょうど、就活を終えた頃で、色々なことを掘り下げて改めて向き合っていった結果、自分の中でも分からないことが増えてしまった……という時期だっただけに、「今わからないってことは、未来の歩幅を広げてくれる」という言葉は希望として衝撃的に響きました。
 だって確かに、分からないから進むのだし、分かっていたら進まない場所なんてたくさんある。
「過去に遡って現在が救われて、新しい何かが始まる」というのは、過去の時点では分からなかったことが、未来まで進んだときに分かって何かが始まる、ということで、そういう分からない未来への可能性や希望を感じさせてくれます。
 航さんの言葉は基本的に前向きで、「キラキラだとか夢だとか希望だとかドキドキだとかで この世界は回り続けている!」という歌詞もあるくらいですけど(「キラキラだとか夢だとか~Sing Girls~」)、そこに論理的な説得力があるように思えて力強い。

 今分からないということは君を前に駆り立てるものだから心配はいらない、という言葉を身につけられていることは本当に嬉しいことです。
 高校生のときにここまで意識していなくても「前を向いて進んでいく姿に説得力がある」と感じていたのは、こういう考え方が随所に散りばめられているからだろうなあと、今になって思ったりします。


2.南條愛乃さん

 そして、航さんの「分からないからこそ進む」と、奇しくも対であるように私が心に留めているものが、南條愛乃さんの「分からなくても進む」です。
 南條さんは声優・歌手ですが、ソロアーティスト活動では作詞も多くされていて(ユニットのfripsideでも時折作詞されてますが)、その中の「ツナグワタシ」という曲がまた、本当に強い曲なのです。以下に引用します。

前だけ見てろって酷なハナシ
目隠しみたいなヒトの道
それでも歩いてきた過程が
思いがけずワタシのこと支えた
今を信じられず背を向けたら
突然過去からのプレゼント
「さあ繋げ明日へ 過ごした時に無駄はない
あの日のニガさは今の君のチカラさ」

(アルバム『Nのハコ』(2016)収録「ツナグワタシ」作詞:南條愛乃)

 南條さんの歌詞も基本的に前向きなんですが、その前向きさは堅実なほどの実感や自負に支えられているように感じられて、身が引き締まるような気持ちになることも多いです。
 今は分からない、だけどその今が過去になった未来で、意味に辿り着いたことがあったから……ということをうたうこの曲は、特にストイックな前向きさが強いなと思っていて、ふと気付いたときにビリビリきた曲でした。
 ただその力強さを手に入れる前、のように聞こえる歌詞もあって、「だいすき」という曲の1番と2番のサビを引用します。

うつむいてこぼれ出す涙が なんだか止まらない
悔しいくらいにわたし……考えてしまうよ
夢見て描いてた理想とは 少し違うけれど
不器用でも 追いかけていたくて……
わたし、やっぱり大好き
(中略)
うつむいて こぼれだす結晶を 認めてあげなくちゃ。
悩んで、立ち止まっても また頑張るんでしょ?
小さな努力とそんな日々が 少しずつ重なり
ささやかでも わたしの自信へと……変わる
そんな気がしてる

(アルバム『東京1/3650』(2015)収録「だいすき」作詞:南條愛乃)

 これも「分からなくても進む」そのままの歌詞で、やっぱり南條さんの曲にはすごく堅実で、かつ切実な前向きの力を感じます。
 ちなみに「だいすき」の収録されている『東京1/3650』は「ツナグワタシ」の『Nのハコ』の1つ前のアルバムの曲でして、引用は順番を逆にしてしまいましたが、「だいすき」の頃に「そんな気がしてる」とうたった予感が「ツナグワタシ」では「それでも歩いてきた過程が/思いがけずワタシのこと支えた」とうたわれていたりするのは、すごくいいですよね……。
(ちなみにその1つ前、デビューミニアルバム『カタルモア』に収録されている「ID*」では「この声が 聴こえたなら飛び出して今すぐに きっと出来るはず/思うよりずっと強く願ってる 踏み出すその時を」とうたっているのでそこから繋げて感じてとってみることもできたりして……)

 一貫した考え方の中でももちろん、曲によっては違うフェーズがうたわれているので、その時々で色んな曲に救われてきました。
 背中を押してくれるような、あるいは背中を見せてくれるような曲の他にも、南條さんの曲には同じ時代を進む仲間として横顔が見える距離感の曲もあって、そういう……そういうところが好き!  と思ってるのですが、またそれは別の話なので割愛します……

 とにかく「分からないからこそ進む」と「分からなくても進む」を持っている自分は結構最強だなと思っていて、この2つを持っていれば分からなさに出会ってしまったときでもそのまま進んで大丈夫、と思えます。


3.ヴァージニア・ウルフ

 そして、また別のベクトルで「分からなさ」に接したのが大学の卒論でした。
 英文学専攻で、扱ったのはヴァージニア・ウルフの『オーランドー』。
 フェミニズムの先駆者、モダニズム文学の牽引者ともされるウルフのこの作品は、何と主人公が400年近くを生き(?)、途中で性別が男から女へと変わる(?)という設定の作品です(!)。
 タイトルにもした「分からなさ」とは可能性、というのはこの卒論を書いているときに思いついたことでした。

 主人公オーランドーは男として生まれ、女王の寵愛を受けたこともあって割と順調に出世していくのですが、トルコの大使になったある日、反乱騒ぎの翌朝に目覚めると、「彼は女になっていた」というわけです(わけです?)。

 ただ身体つきの性別が変わっただけで中身が全て変わることもなく、すると男だと思われていたからこうしていた、女だと思われるからこうする、という様々な発見がなされていきます。「本当は男」とか「本当は女」っていう実際のところの重要性がだんだんと低くなっていくような感じ。
 結局、オーランドーは女になってからしばらくしたあと開き直ることになって、女装したり男装したりで街へ繰り出し、両性を楽しむことになります。
 また、彼女は男だった頃、恋に落ちそうな相手の性別が分からなくて葛藤していたこともありました。女だと分かって安心しているので、こちらとしては、あれ、結局のところ実際の性別に関わらず好きになってしまえるのでは‥?  と思わされたり。

 こうした描写たちを頭の中でぐるぐる回していて思ったのが、分からなさとは可能性、ということでした。
 つまり、分からないということは決まっていないということで、決まっていない状態とは何かを選ぶことができる状態なので、それは複数の可能性を孕んでいる状態である、ということ。

 そうすると「分からないから進む」や「分からなくても進む」を私が前向きなパワーとして受け取れているのもとても納得できるような。
 もちろん航さんや南條さんの「分からなさ」とはまた別ではあるのですが、『オーランドー』では、分からなさを孕んだ状態を是として描いているように感じました。

 実際ウルフは『自分ひとりの部屋』において、複数の対立する要素を両方持っておくことが一番多孔的で響きやすい、みたいなことを言っています。
 男性的とされている要素と女性的とされている要素の両方を持ち合わせることが本来は自然で理想的な状態、と語っていて、フェミニズムの先駆者とされた彼女ですが、女性だけを語るのではなく、人は両性具有であるべき、ということも語っているのが好きなところです。


4.ペンギン・ハイウェイ

 そして、これらに接していた私が去年の夏に出会ったのが、『ペンギン・ハイウェイ』でした。(ちなみに映画を見たあとに原作も読んだという順番でした。)

 私はこの物語を、アオヤマくんが不思議なもの=可能性と向き合い続ける物語、だと思っています。
 そして、謎だらけの世界でそれでも確かに感じられることや考えられることが際立って描かれている、というのも好きな理由のひとつです。

 さて、謎だらけ、と言いましたが謎は本当にたくさんあって、ペンギンやお姉さんの正体に関わることもあるけれど、私が思い浮かべる「謎」は、アオヤマくんから見たお姉さんにまつわる謎です。
 お姉さんが何者かというよりも、彼が眠るお姉さんを見つめながらぼんやりと考えていたような不思議。

 ――なぜお姉さんを見つめているとこんなにもうれしい感じがするのだろう。
 ――なぜお姉さんの遺伝子によって形作られた顔が、自分をこんなにもうれしくさせるのだろう。
 そうして初めて知ったふしぎさを持て余し、だけどとにかく、どうにかそのふしぎの印象を残しておきたくて、スケッチと単語をノートに書きつけたアオヤマくん。
 分からないから知りたいと願うこと。
 分からないのに、こんなにも分からないのに、絶対に感じているし消えない、そういうものの存在の確かさ。
 そうして理由が分からないことこそが、その存在の確からしさを強調するかもしれない。

 アオヤマくんはお姉さんの正体やお姉さんにまつわる事象を解き明かそうと謎に取り組みますが、なぜこんなにも惹かれるんだろう、という謎だけは解き明かされることはなく、しかし一番彼を駆り立てるものとしてあり続けます。だからこそラストシーンが本当に大好きで……という話は、後ろに持っていきます。

 また別の大好きなシーンに、アオヤマくんが妹に「お母さんがいなくなっちゃう」と泣きつかれ、「それはもしかして、ずっと先のことだね?」と悟る場面があります。
 アオヤマくん自身も、みんないつかはいなくなってしまうのだという恐ろしい発見を体験したのだと、原作では書かれています。

 このシーンだって「分からなさ」を描いていると思っていて、それは未来について描いているシーンだからです。
 アオヤマくんは基本的に分かろう・知ろう・学ぼうとして色々な研究しているけれど、この恐ろしい発見については、少し特殊な向き合い方が必要なはず。
 事実としては分かっているけど体験としてどう起こるのかは分からないというのは、もう考察のしようもないような分からなさで……
 そういう分からなさは多分、「分からないからこそ進む」ではなく「分からなくても進む」の方で、でも南條さんの歌詞から考えた「分からなくても」よりずっと、理不尽で巨大なこと。
 自分も小さいときに同じ理由で泣いた覚えがあるんですが、どうやって飲み込んだり忘れたりしたんだろうか……。

 原作では間の文脈も語られていますが、映画でアオヤマくんが「それはずっと先のことだね?」と悟ったとき、私は本当にハッとして、彼はそれに思い至れる少年なのだなと思ったし、「僕だって怖い」と零したアオヤマくんが世界と向き合っていることを思うと胸がぎゅっとなります。

 そしてそして、本当に大好きなラストシーンですが、アオヤマくんがお姉さんにまた出会える可能性を、信念として目指すというのが、だってあまりに素敵で……。

 科学の子たるアオヤマくんは基本的に客観的な視点を持って研究しているけれど、どんなプロジェクトも始まりは「知りたい」という気持ちだろうし、プロジェクト・ペンギン・ハイウェイはお姉さんに会いたいという気持ちこそが指針。
 不思議だらけのお姉さんにまた出会える可能性を目指すところで、作品の中で書かれている物語としてはひとまず終わりを迎えるけれど、これから始まるのだ、という切なさと気持ち良さが残りました。

 不思議=可能性を検証して、まっすぐ前に進むアオヤマくんと、そうしていつか立派な大人になる彼の壮大なプロジェクトの始まりを描いた『ペンギン・ハイウェイ』。
 私はアオヤマくんに航さんの「君はいつか、本当に届けたいものを届けるんだ」という言葉を送りたいし、彼が過去からのプレゼントを受け取れるよう、心から祈ってしまうのでした。

    *

 そう、そして、この映画をこんなにも好きになれたのはそれまでに出会っていた他の作品たちや、その作品たちに納得できただけの自分の体験のおかげというのも嬉しいことだし、こうやって後から見た映画で思い出して再会できた気分になったとき、もっと好きになれるなと思うのが、私は大好きです。
 これだって、過去の経験が未来になって新たに意味づけられるようなことの1つで、「今は分からない」はやっぱり可能性だから好き、と思うのでした。

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