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第96回箱根駅伝への道のり~終わったから書けること

こんにちは あつ子。です。
本編の「第96回箱根駅伝への道のり①~③」はお読みいただけたでしょうか?
まだ読んでいないという方は是非そちらからお読み下さい。

Ⅰ.行けなかったから書けること

私が第96回箱根駅伝に辿り着くまで、というテーマのもと、「第96回箱根駅伝への道のり①~③」を書いて来ました。
しかし、残念ながら断念せざるを得ない結果となりました。
本編では細かく書かなかった理由をここに書こうと思います。

祖父が亡くなり、箱根駅伝に行くかどうかという話し合いがありました。
私はもちろん行きたかったですし、家族もその思いを分かってくれていました。

私が箱根の為に貯金していたのも知っていました。

でも身内が亡くなった直後に遠出は好ましくありません。それは私も家族も分かっていました。

ただ、祖父はよく陸上長距離を観ていました。また祖父自身もマラソンを走ったり、高齢者の走る会に所属していました。

祖父は自分の死で家族が陸上を観に行けなくなることを望んでいるのだろうか?

祖母、母達はそう考えてくれました。

そういうことを踏まえ、箱根に行くことになりました。

では何故行けなかったのか?

葬儀の翌日、新聞に祖父の訃報が掲載されました。
その日から祖父の知り合いが祖父祖母の家に訪れるようになりました。

叔母はある日祖父の知り合いの相手をしていました。
いろいろな手続きや葬儀の準備などで疲れが溜まっていたのだと思います。

叔母は階段から落ちて骨折してしまいました。

お察しの通り、脚を骨折しました。

箱根駅伝の現地観戦はずっとその場に立っていたり、駅から歩いたりして脚に負担がかかります。とても骨折した状態で移動はできません。

他の人と行くという手もありますが、私は叔母と行くことしか考えていませんでした。

だから箱根は断念しました。

正直いろいろ乗り越えてきた1年だったので、あともう1年待つのかと思うと気が遠くなりました。たとえ来年行ってもチーム状況もメンバーも前年と同じところはひとつとしてありません。

私が第96回箱根駅伝の現地観戦を本気で行きたいと思っていた1番の理由をご紹介します。

私が1番長く応援している青学の竹石選手のラストイヤーだったからです。
だから応援場所も竹石選手が出走の可能性が高い5区芦ノ湖に決めていました。
しかし12月10日、箱根駅伝エントリーメンバー発表の日、メンバーの中に竹石選手は入っていませんでした。
このことは私はヤフーのニュースを見て知りました。東海の關選手、法政の佐藤選手と並んで竹石選手のエントリー漏れが大きく取り上げられていました。
言葉を失いましたし、何より竹石選手自身が1番無念だったと思います。

それでも私は一欠片の望みを持っていました。それは竹石選手が給水係として箱根駅伝を走ることでした。
私は箱根駅伝の給水場面が好きです。数年前は監督が選手に給水を渡していたそうですが、私は今のような給水のあり方がいいと思います。

各チーム10人しか箱根駅伝は走ることができないのでしょうか?数年前、メンバーに選ばれなかった選手が仲間に給水を渡し、後の取材で「数十メートル箱根駅伝を走らせてくれてありがとう」と言っていたことが印象的でした。その時、箱根駅伝を走るのは10人だけではないと気が付きました。

当日、竹石は同期の選手に給水をして、中継でも続報・箱根駅伝でも紹介されました。

しかし4年目の箱根を給水のゼッケンを着けて走る姿を見るのは少し悲しかったです。

竹石選手の進路は他の選手に比べ発表が大分遅かったので、もしかしたら実業団に行かないのかもしれないと思っていました。
私が予想していた通り、競技を引退することを予定していたようです。しかし、今後の競技に対する意欲が高まり来年の実業団入部を目指すとのことです。

第96回箱根駅伝はもう2度と訪れません。しかし今の大学生、未来の大学生が創り上げるこれからの箱根駅伝を楽しみに待っています。

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