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ペリーが生まれた日

昨日アップした『付け乳首の話になった』はアクセスが伸びている。釣りタイトルのようになってしまったことは少し恥じているが、下ネタでもなんでもない、まじめな話なので記事の内容を変えるつもりはない。

恥ずかしさ、ということで書こうとは思っていた。少し前から。

夏。あの夏。通っていた保育園でプールに入る。
わたしが5歳くらいの頃である。ふと、男女で隣り合わせて水着に着替えていることに恥ずかしくなった。水着というかパンツ一丁だった気もする。それに強い嫌悪感を持った。仕切りがほしい。カーテンがほしい。ゼロ歳児から保育園育ちで、いつも他人にまみれ、ごった煮の芋のように育ってきたのだが、突然「恥」を覚えた。感情だけが芽生えて言葉が出ない。この感情が何なのかを理解していないから、「恥ずかしいので個室で着替えさせてください」と言えない。小さな木のロッカーの扉をあけっぱなしにして、その扉に隠れたつもりになってそそくさと着替えた。まったく隠れていなかったと思うが。

ペリーはいなかった。あなた、そんな男女一緒くたで着替えて恥ずかしいことですよ、とは言われなかった。自分の中にペリーが現れた。

あの恥ずかしさをずっと忘れられないでいる。
突然カーテンが無い世界に放り込まれないか。
言葉がうまく出なくて、もじもじしている時間を過ごさなくてはならないのではないか。

芽生えた感情と語彙力との乖離を、肌で感じた日でもあった。夢で見たかのように、俯瞰的にちいさな自分を見ている感覚もある。口をとがらせて、もたもたと着替えを渋っている5歳児。
感情パターンを新しく持つことが少なくなってきているから余計に、わたしの思い出の中で何度もあの夏の日を反芻しているのかもしれない。心の中にペリーが生まれた日のことを。

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