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家族のかたち色々 ②

前回の今を生きる神についての続編。

前回の記事↓

あれから、母からの音沙汰はなくなった。
まだ二日なので油断は禁物。鍵は閉めるようになった笑。

昔から夫婦げんかが絶えず、よく家を飛び出した母。
飛び出した母に弟と連れられ泊まった旅館の名前はいまだに覚えている。

9つ離れた妹が生まれて間もない頃、また母が出て行った。わりと近くに住んでいた祖父がやって来て、近所におっぱいが出る人がいないかを聞かれたこともこれまたハッキリと覚えている。大好きだった祖父。新潟から出てきた祖父の世界では、困っている人がいたら、血が繋がってようがなかろうが助け合う、それが普通やったんやろなあ。
大好きな祖父は、よくよく考えてみれば母の父。
軽いショックを受けている今。。。親子であっても全く違う人間なのだ。

飛び出すぐらいなので、けんかはいつも激しい。バトルだ!
もちろん、手は出る、ものは飛び交う。ご近所さんがかけつけてくれることもあった。警察にだって飛び込んだことがあるぞ!

今でも鮮明に覚えていることがある。
当時、私は中学生だったか高校生だったのか。
またしても家を飛び出した母。5階から靴も履かずにかけおりていった。
母が1階まで降りてくる間に、踊り場で父は傘を手にし、まるで槍を獲物に向けるように構えている。母を傘で射ようとしてるんである。
恐ろしい光景のようでいて、かなり笑える。命中できるか?笑

でも、そんな恐ろしくも笑えるバトルのあった二人も気づけば仲直りしてるんである。記憶にあるのは母が飛び出していくシーンばかりで、戻ってくる記憶は一切残ってないんだが。

そんな中で暮らしていた私は、いつの頃からか、もうほんま別れたらいいのに、心底別れてくださいって思うようになっていた。

私が大人になり家を出ていくときも、両親はまだ一緒だった。
父とけんかをして飛び出してきた母が、私の家にやってきたこともあった。
父、母それぞれに離婚したらいいやんって私が言うもなんだかんだと別れずにいた二人。

実家にいた頃、母との仲がものすごく悪く、放任で育った私は、23歳で家を出たあと、よっぽど用がない限り、お互い連絡をとることはなかった。

家族の繋がりがとても薄かった。

それでも、家を出て一人で生きていく中で、母とのいい距離ができたのか一緒に暮らしている頃より関係は良くなった。

その後、私は私の人生に夢中で進んでいくことになる。
その間、両親は両親で私の知らんところで色々あったことと思う。

月日が経ち、今父と私が暮らす団地で何年か前まで暮らしていた父、母、妹の3人。私はその頃、ここから自転車で20分位の隣の市に住んでいて、父と妹に会いにちょこちょこと遊びに来ていた。

そんなある日、妹から母がどこに行ってんかわからんけど、あんまり帰ってこーへんと聞く。
うちら姉妹はそうゆうことをネタになる!と、面白がるところがあり、両親の関係を心配するということはなかった。もしかすると、一緒に暮らしていた妹は別の気持ちが実はあったかもしれんが。

そしてその後も、母が家に帰ってこんことは続いたらしい。
父はどうしてたかというと、部屋が別々で普段からこもりがち。特に母の言動を気にしてなかったんやろうと思う。

そして、ついに父と母の離婚する日がやってくる。

書きながら、どんどん書こうと思ってたことじゃないことを書き始めていることに気づき、修正しようと頭を悩ませるも、なりゆきに任せよう!ということで、TO BE CONTINUED…次回をお楽しみに!!



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