上司から学んだこと
・自分にとっての成長は何なのか
ある日の職場での事
自分のパソコンの処理の仕方より、明らかに院長のアイデアが優れていた。効率的だったし、何を目的に行うという優先度がそこにはしっかりとあった。
その時に「なんで自分にはこのアイデアが浮かばなかったのだろう」と。
自分の中にその考え、アイデアが存在しなかったことに対する絶望に近い驚きを覚えることがあった。
同じことは、自分の母にも感じる時がある。
「あの人の娘やのになんで自分には思いつかんかったんや。母からのアイデアがなかったら自分はどうなってたんやろか」
でも答えはその成長のためのマインドには必要の無いことがわかった。
その考えは自分にとっての成長にはつながらない。
・自分の「国」の成長にどう活かせるか
私は「あつこ国」の総長・管理者だと思えば良いのだ。
例えば日本という国がブラジルと比べるだろうか。
確かに良いところは良いよねとその文化・経済の方法について共感し、吸収するであろう。しかし、それだけでは成長とならないはずだ。
「自国にも取り入れよう」
そうだ。良いものは確かに取り入れる。
私が院長や母の方法が思いつかなかった。
その独自の文化・考え方が存在する。
それは、国の違い、人種の違いに似ている。
それを落ち込む必要があろうか。
はじめから国がちがうのだから。
落ち込む必要は、無いはずだ。
自国に他国のアイデアを取り入れるかどうか、これは自国の長、または国民が決めること。
取り入れる必要がない場合は取り入れることはしなくて良いのだ。
その取り入れた新しい知識は、ただの扱いずらい、悩みの種(自分にはできないよ)になり、自信を失ったり、怒りなどネガティブに働くかもしれない。
だから、取り入れたとしても、自国にアレンジして自分なりに咀嚼して戦略を練りながら成長させなければならない。
まずは自分が(あつこ国が)、
どんな成長をしているのか、
少し周りを見渡しつつも、
あくまで、
じぶんの成長をどうしたいのか。
それをベースに考えることが大事である。
母や、院長にないものがあつこにはあり、
二人にはあり得ない世界観でアイデアや考え方を無意識に放出しているということも忘れてはならない。
私は、そこにいるだけで、特別な何かを誰かに伝えている可能性があるということを。
(最後の2行は院長が言うてくれた言葉でした。)
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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