男の沽券

 私は2回、転職した。最初の育休は、2番目の会社で取得した。男性で第一号取得者だったので、職場の反応が面白かった。

 女性の先輩たちは、親身になっていろいろと教えてくれた。後輩の女性たちは、「私たちも働き続けながら子育てしたいので、応援してます」と励まされ、育休中のバレンタインデーには、生涯で一番チョコレートをもらった。机の上にチョコが山積みになっている写メが送られてきて、「ジャニーズ事務所みたいだなぁ」とにやけた。もっとも復帰した翌年のチョコは激減し、突然のモテ期は瞬間風速で過ぎ去ったのだが。

 一方、育休を取りたいと申し出た私に、上司は「なんで男のおまえが育休なんて取るんだ。キャリアが台無しになるから、やめとけ」と言い放った。「子供の教育費は何千万円もかかるんだぞ。いっぱい残業して金を稼ぐ。これが家長のあるべき姿だ!」という上司に、「妻の勤務先には家賃補助があって、妻の方が給料が高いので、妻が世帯主なんです。私は家長じゃありません。」と反論したところ、「そういう問題じゃない!」と叱られた。

 ただ、社長は話がわかる人で、後押しして下さり、何とか育休を取得できた。社長にお礼を申し上げにいった際に、「ところで、君の奥さんの方が給料が高いんだって」と言われ、深く考えずに「そうなんです。だから、私が育休を取る方が世帯収入でみると合理的なんです」と話したところ、「でも、男の沽券にかかわるだろう」と社長。うかつ者の私は、社長の言葉を「股間にかかわるだろう」と聞き違えて、「まったく真昼間から下ネタを言うとは、何てオヤジだ・・・」と、しどろもどろになって「いえ、別に股間はなんとも・・・」

 「バカ!股間じゃない、男の沽券だ。男子たるものの誇りに関わらうだろうって意味だ」と社長。私の辞書には、「沽券」なんて言葉はなかったので、ひとつ学習した。

 「いやぁ、僕の場合、そういうのはないです。失業した時にも妻に養ってもらえてラッキーと感じました」と話すと、ますます同情した顔で、うーんと考え込んでいる。数日後、人事部から「渥美が不憫だから、少し給料を上げてやれと、社長から指示が出ました」と連絡が入り、驚いた。

 俗に、親の七光りというが、妻の七光りで給料が上がったのは私ぐらいではないか。「ふーん、良かったね」という、余裕たっぷりの妻の言葉に、勝者の余裕を感じて、これが沽券かとようやく思い至った。

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