見出し画像

元吃音者のパフォーマーの吃音との向き合い方

 

【‥‥た、た、たた〇〇くん‥‥基準!たたたたたたー体操の隊形に開け!】



高校の体育祭の時

体操部キャプテンだった僕は全校生徒の前でラジオ体操の号令をかける役割を任されていました。


周りがザワザワするのを感じながら吃る度に心が脆くなっていきました。

泣くにも泣けない。

人は共感されないと素直に涙も出ないんだ‥‥。

一生喋りたくない。そう思っていました。

高校2年生の時自分の母親が僕が吃ることに悩む姿を見て神頼みと一つの団体に加入しました。

何かを信じることに対しては何も悪いとは思わないし自分も信じるものはあるので偏見はないつもりでいます。


しかし自分の姿を見て親の行動を変えてしまった事にショックを受けたのでした。

これが吃音を治そうと思うきっかけになりました。


問題は一つ。

治そうと思うもどうしたらいいかわからない。



当時周りにはインターネットもなく調べるということが日常ではなかったのでただ悩むだけの日々でした。



ちょうどその頃テレビでやっていたアニメに目を奪われその時に【声優】と言う職業を知り声優さんについて興味を持つようになりました。

どうせ治すなら楽しい方がいい。



高校在学中にいくつか単身で県外の専門学校に体験学習に行って


履歴書を送り面接をしてもらいました。


人と話すこと自体苦手だったので面接と言うと緊張レベルがマックスに近い状況でしたが


自分が吃音を持っていて吃りを治しに来たことを正直に話しました。


面接をして下さった学長が

 

【吃りは癖だから治るよ。どうせやるならプロになろう!】


治すと漠然とは思ってはいましたが治るとまでは思っていなく本当に迷子だったので


治るものだと言うことを言葉にしてもらったときまだ治ってもいないのに救われた気がしました。

これが東京の学校に行く事になったきっかけでした。


周りの人よりもハンデがあると思い込んでいた僕は毎日誰よりも早く学校に行き練習部屋を借りては発声練習をしていました。



【相生、青い家、家葵‥‥】



言いにくい言葉を羅列して甲を張り上げながら習ったこと、思いついたことを試していってました。



それでも人前だと自分の名前も言えず台詞も出てこずで2年間習ってもオーディションは全滅でした。



その時に担任の先生から

【舞台の方へ行ってみたら?毎日表現できる場所の方が向いてると思うよ】



と助言を頂き舞台へ目を向けお芝居のワークショップに行ってみる事にしました。


これが舞台役者として活動するきっかけになったのと同時に


自分にとっての芝居の師匠との出会いのきっかけでした。


初日面談で正直に自分は表現の前に言葉が困難であることを告白しました。



その師匠はすぐ当たり前のように

“お芝居は台詞よりもここだから”



と説明し自分の胸をつかみました。

お芝居はもちろん感情を動かさないといけないのはわかっていましたが



今まで言葉ばかり気にかけていた僕にとっては衝撃すぎてその場で泣き崩れてしまいました。



そこから師匠の元で芝居を研究しつつ劇団でお芝居を続けました。

お芝居してる時は吃らないのかと思うかもしれませんが‥‥


吃ります。


残念ながら‥‥

泣きたいほどに‥‥。



なので自分が取り組んだことは



自分自身を忘れるくらいの役作り


です。


演技論は人それぞれあり語弊を生む可能性があるのでそれ以上は言えませんが


詰まっても伝えたい内容に夢中になると吃ってることが気にならなくなってくる


‥‥とは言うものの喋る事には不安はありステージ上以外は萎縮していました。


有り難いことですが


そうこうがむしゃらにやっているうちにラジオやMCを任される時がありました。

それはそれはキツかったです。



楽しみ30%

不安70%



話せなかったらどうしようと言う思いは消えませんでした。

しかし自分が喋りよりも内容に夢中になれば対処できるかもしれないと思い



聞いている人たちがどうやったら面白く聞けるか


を必死で考え夢中になりました。

やりこなしてはいる風でも吃ったり詰まったりしていると心はどんどんと擦り切れて‥‥


:27歳で方向転換



27歳まで舞台で芝居をしていましたが心の限界を迎えました。

その年を境にアクロバットパフォーマーとしてステージに立つ事にしました。


ここからは喋る必要はない。

2度と喋るか!!!!



と安心していましたが、そんなわけもなく演出しなくちゃいけなかったり後輩に教えたり


事務所に説明しなくてはいけなかったりと

自分自身に役作りができない分話す事が厳しいことがたくさんありました。



こりゃ失敗か‥‥?と思いましたが

これも喋ることよりも内容を重視して、たっぷり間を取ってゆっくり話すようにすると



説得力が増し人が話を聞いてくれるようになりました。



そして31歳の時MCを任されたある舞台でのお客さんの数は1400人。

プロデューサーから言われた言葉は



“盛り上げろ!”




たったこれだけの指示でやらなくてはいけなくなりました。

当然毎回冷や汗もの。

正直自分が吃ることなど考えてる暇なんてありませんでした。


どうするべきか‥‥



どうやって1000人以上の人間を盛り上げるかを考えました。



どの声のキーでがどんな内容でを考え


出番の前はブツブツと練習をして本番に挑みました。



喉を枯らした時もあります。(とてつもなく叫ぶショーだったので‥‥)



それでも人にどう喜んでもらうかと言うことを考え喋り続けました。



10ヶ月間その舞台をやり遂げ次に巡り合った仕事はコメディショーで自分一人が喋り笑いを取ると言う役。



喋るだけでも困難なのに笑いを取るって‥‥

笑いは間がとてつもなく大切。



自分の喋りの間も掴めないのに空気の間を読んで言葉を発するなんて‥‥



毎日毎日心臓を握り潰される思いで人に笑ってもらうためだけに約1年間やりました。


吃ったらどうしようと思った時は必ず吃りました。




人にどうやって笑ってもらおう。楽しんでもらおうと思えば吃りにくい。




吃音の症状は人それぞれあって人によって違います。



人と話すときは話せるけど本読みは出来ない

とか


数人の前だと吃るけど数えられないくらい人数の前だと喋れる

など。



僕自身は連発、信発、難発と呼ばれる症状がありました。



【連発】
言葉が何度も連発して出る症状

【伸発】
次の言葉が出ず言葉を伸ばしてしまう症状

【難発】
喉で詰まってしまい言葉自体出ない症状


僕が話すたびに周りはザワザワしていました。

吃音者は誰よりも言葉について表現する使命があるように思っています。

悩んでるからこそ人に伝えることが出来るんです。

コンプレックスに立ち向かうのは容易ではありません。



しかし何年経っても吃音が目の前に立ちはだかる壁だとするならば立ち向かうべきものなのかもしれません。



僕は吃音がたくさんのきっかけをもらいました。



治ったとさえ思いました。



ボロボロになりながら立ち向かったからです。



吃りにくい方法を自分なりに見つけたからです。



しかし本音で言うと克服はしていません。

いつでも話すことへの不安や恐怖はあります。



それでも言葉を使う役割が自分なのであればおそらく疑うことなく自分なんです。

これからもおそらく喋っていきます。



それが使命だと感じているからです。



おそらく読んで下さっているあなたもその一人です。



自分の自信がもてないと思っている時に吃音や悩んでいることが行動のきっかけを与えてくれようとしているのかもしれません。


ありがとうございました。





奥村睦巳

オクムラアツシ

1986年11月20日
徳島県出身
男子新体操国体出場経験
幼少期からの吃音を治すために上京し声優を目指す
舞台役者を経てアクロバットパフォーマーへと転身

東京ディズニーリゾートスタント出演
フエルサ・ブルータWA パフォーマー出演
コミック道場TeeFamily in 沖縄
ザ・ハウス・オブ・ダンシング・ウォーターアクロダンサー出演 in マカオ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?