見出し画像

旅の記:2023年4月のツアー㉔日前神宮・國懸神宮<紀伊国一宮>(和歌山県和歌山市)

【旅の記:2023年4月のツアー㉔日前神宮・國懸神宮】

紀伊国一宮である日前(ひのくま)神宮・國懸神宮は日前大神と國懸大神をご祭神とする神社で、両ご神体は日像鏡(ひがたのかがみ)と日矛鏡(ひぼこのかがみ)で、アマテラスが岩戸隠れしたときに石凝姥命(いしこりどめのみこと)が八咫鏡に先立って鋳造された鏡であるそうです。というわけで共に相殿には、日前神宮にアマテラスを岩戸から出す作戦を考えた思兼命(おもいかねのみこと)と石凝姥命、國懸神宮には岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノワガタマ)を作った玉祖命(たまのやのみこと)、鍛冶をしていた明立御影命(あけたつあめのみかげのみこと)、そして日本初のダンサー鈿女命(うづめのみこと)が祀られています。
天孫降臨の際に三種の神器に両神宮のご神体も副えられて、神武東征の後、紀伊国造家の祖である天道根命(あめのみちねのみこと)に任命して、二つの神鏡を紀伊国名草郡毛見郷の地に祀ったのが起源とされる。垂仁天皇16年に現在の地に遷座。もともとは伊太祁󠄀曽神社があった場所だったが、国譲りの結果、日前・國懸神が土地を手に入れて、伊太祁󠄀曽神社は現在の地に遷座されたとしている。
ご神体の重要性から、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたそうで、別格の社として尊敬されていた。日前大神は天照大神の別名という説も。。

天正13年(’1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれて、社領が没収され荒廃。江戸時代紀州藩初代藩主徳川頼宣により再興された。しかしその規模は1/5ほどになってしまい、最盛期の頃の面影はない。大正8年(1919年)、国費により境内の建物を一新、旧観は大きく変化した。大正15年(1926年)の工事完成で、現在の左右対称のすがたとなる。


境内は写真不可でした。

とても興味深い逸話と歴史がある神社ですね!境内から社殿など、伊勢神宮に近い、少し張り詰めた感じの空気感、と僕は勝手に感じたのでした。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?