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1990年の女子プロレス / Women's Pro-Wrestling in 1990

文・ランディ高橋

 日本で独自の進化を遂げた『女子プロレス』。特に1970年頃から最近まではのクオリティはダントツでした。バブル期と重なるクラッシュ・ギャルズ・ブームに有能なアスリートがプロレスを志してくれました。1990年頃からはWWEも注力し始め、ブル中野選手(通称:ブル様)がWWE世界女子王座を獲得したのが1993年。2015年10月にはAsuka(華名)がデビューし現在に至るまでトップクラスで活躍。残念ながら、日本国内はかつての勢いはありません。WWE同様に男子プロレスとのコラボもありかとは思いうのですが。団体の成り立ちが異なるので難しいのか。関係者の方の奮起を期待しています。

 終戦直後の女子プロレス黎明期からしばらく(1950年~1974年)はエロスを目的の男性ファン。マッハ文朱のデビュー後からクラッシュ・ギャルズ引退(1975年~1989年)までは女性ファン。この頃までは小人プロレスラーが活躍してくれた時期。是非復活して欲しいんですけどね。1986年のジャパン女子プロレス登場の時期には、男性ファンが増加。僕は祖父の影響で1973年頃から男子も女子も同じプロレスとして観ていたので、テレビ放映でマッハ文朱の活躍が記憶にある(かないか)。1986年以降はプロレスから少し遠ざかった時期なので簡潔に。1989年にプロレスの天才 長与 千種が引退。その後はブル様が実質トップ。勧善懲悪を遂行するには厳しい。そこで獄門党のアジャ・コングとバイソン木村との抗争にシフト。アジャ・コングがWWWA世界シングル王座の奪取まで続きます。後にDVDと書籍で後追いしたのですが凄すぎる。戦慄を覚えます。リアルタイムで体験された方のお話を聞かせて欲しいです。村松 友視 先生の名著「私、プロレスの味方です」(1980年 情報センター出版局)で定義されていた"凄玉"(、"善玉"・"悪玉"におさまらない存在)。彼女たちはまさしく"凄玉"として闘っていました。抗争の終了と軍団対抗戦の始まりとなった興行(1992年11月26日 川崎市体育館)はテレビ中継でにも目撃。この時期にテレビ中継されていたフジテレビさん、Blu-ray / DVD BOX SET 企画を是非検討ください。

 以降の団体対抗戦時代は僕のプロレス自分史のなかでもハイライトです。これは改めて記述します。プロレスの成り立ちを認識した2001年以降、エクストリームなエンターテインメントとして楽しんでいます。当時のような熱狂性を持つことはないとわかっているので寂しいです。そんなブルーな気持ちを吹き飛ばす女子レスラーが現れました。Kairi Sane(宝城 カイリ)。彼女のダイビング・エルボー・ドロップは世界で一番美しい。全盛期の風間 ルミ・キューティー鈴木・下田 美馬・井上 貴子・大向 美智子をも凌駕するルックス(個人的にですので)。STARDOM - NXT - WWEのサクセス・ストーリーを堪能します。

プロレス/格闘技DX

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