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「越えて学ぶ未来の学校」は「越えて学ぼうとする人たち」がつくる。新刊の書評。海士町・大野佳祐さんより。

海士町の尊敬する先輩、大野さんが新刊『未来の学校のつくりかた』の書評を書いてくれました^^ありがとうございます!!!

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篤快からの連絡はいつも唐突で、しかも雑だ。(それがわりと好きだ)

でも、今回の「本ができたので送りたい」という連絡はちょうどタイミングがよく、「未来の学校のつくりかた」という新刊のタイトルも自分自身の心の内とピタリと重なった。

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コロナ禍で、あらゆることが剥き出しになった。

「学校は毎日通うところ」という常識は見事に崩れ去り、例外なくほぼ全ての子どもたちが「不登校」になり、未来の担い手を育てる学校が(残念ながら)最も変化に対応できなかった。一方で、子どもたちの安心・安全を守る意志決定の難しさや、学校という教育機関が担う「福祉的機能」のありがたさ、当たり前のように日々に浸透している「教育の価値」をこれほどまでに同時多発的に実感できた機会もこれまでにはなかった。

散々、人前でプレゼンしてきた「先の見通せない社会、正解がひとつでない世界」が文字通り唐突に目の前に現れたのが、今回のコロナ禍だったように思う。コロナ禍における学校の対応を批判したり、その中での奮闘を称賛したりしたいわけではない。ただ、本書の主題である「2030年の『あるべき学校の姿』はどんなものだろう?」という問いは、常に自分自身の頭と心を往還している。そして、未だ自分なりのアウトプットを出せずにいる。

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本書の結びにある「大人も子どもも関係なく学び続け、新しい世界をつくり続ける学び舎」が2030年の学校のあるべき姿という理想には賛同できる。が、率直に言うと少しナイーブな気がしている。僕自身も公教育の最前線で奮闘する一員で、このあたりのことはわりと(理想論として)語り尽くされている印象があるし、むしろ僕自身の最大の関心事は、「それをどうやって全国の公立学校で実現するのか」だ。しかも、一部の「変態系」リーダーがしのぎを削ってなんとかするモデルから、みんなでしくみとして「生態系」をつくるモデルにできるのかを、わりと本気で社会で議論しなければならないと考えている。

「あつが意図するところは何なんだろう…」というところで、2回目を読んだ。

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果たして、自分の読解力と理解力のなさを呪いたいのだけど、2回目を読んでも、彼の真意はよくわからなかった。(笑)

そんな自分に降りてきたキーワードは「越えて学ぶ」だ。

立場を越えて学ぶ、時間と空間を越えて学ぶ、既成概念を越えて学ぶ、大人と子どもを越えて学ぶ、限界を越えて学ぶ、違いを越えて学ぶ、学校や地域という枠を越えて学ぶ、見えない境界線を越えて学ぶ、理不尽な現実を越えて学ぶ、自分自身さえも越えて学ぶ。

多くの人が「〜を越えて」の部分には賛同してくれるのではないかと思う。一方で「学ぶ」はどうだろうか。とくに学校現場に近くなればなるほど、教室に近づけば近づくほど、「学ぶ」よりも「教える」が色濃くなってくる現状があるのではないか。本書が指摘しているように、いま本当に学ばなければならないのは、我々大人の方である。

僕自身も、コロナ禍において一心不乱にオンライン授業の対応を進めているときに、とある女子生徒から「もっと生徒たちの力を活用した方がいい」とメッセージをもらった。ドキっとした。「みんなが力を合わせて困難に立ち向かうときに立場や年齢は関係ない」。そうやって総合的な探究の時間にも生徒に呼びかけてきた。にもかかわらず、自分自身が「大人と子ども」と線を引いていたからだ。僕自身が立場を越えて生徒から学び、その力をもっと深く信じるべきだったのだ。(本当にお恥ずかしい限りだ)

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この本に書かれている事例はすべて「学ぶ大人たち」の事例で、「教える大人たち」の事例ではない。書き手である篤快のスタンスも一貫して「学ぶ」だ。

本書に登場する5つの学校は、「変態系」リーダーらに支えられる事例ではあるものの、圧倒的に「越えて学んでいる人々の集まり」の事例であることは間違いない。(ポイントは「そういう人々の集まり」という部分ではないか、というのが自分自身の新たな気づきでもある)

これから先、学校は、様々なモノやコトを「越えて学ぶ」機会をつくる存在であるべきではないだろうか。ありとあらゆるモノやコトを越えることができた時、真に個人個人の環境に合わせて寄り添うことのできる公教育が実現できるのではないか。学年を越える、教科を越える、性別を越える、教室を越える、昨日までの常識を越える、こう考えると学校にはまだまだ越えるべきモノやコトが、それこそ死ぬほどある。これらをきちんと越えることができたのならば、たしかにそれは「未来の姿」と呼べるかもしれない。大切なのは、越えようとする(その過程でもがき苦悩する)大人の姿だ。

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「越えて学ぶ未来の学校」は「越えて学ぼうとする人たち」がつくる。そして、「越えて学ぼうとする人たち」には、立場や状況はどうあれ、あなた自身も含まれるのだ。

その議論のきっかけが本書だとすれば、僕自身は、税所篤快の壮大な構想の一端に触れることができたのかもしれない。

それでも、息つく間もなく巨大なブーメランは自分をめがけて飛んでくる。「で、それをいったいどうやって実現するんだい?」。引き続き、未来の学校をつくるアクティブラーナーの一員として自分自身も学んでいきたい。

(2,144字)

大野佳祐(おおの・けいすけ)

 島根県立隠岐島前高校 学校経営補佐官/一般社団法人ないものはないラボ代表理事/株式会社余白探究集団代表取締役/AMAホールディングス株式会社取締役 1979年、東京生まれサッカー育ち。大学卒業後、早稲田大学に職員として入職。競争的資金獲得などで大学のグローバル化を推進。2010年にはプライベートでバングラデシュに180人が学ぶ小学校を建設し、現在も運営に関わる。2014年に海士町に移住し、隠岐島前高校魅力化プロジェクトに参画。教育とまちづくりを往来する日々。


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