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「恥ずかしながら、帰ってまいりました!」

 今でもあの光景は、脳裏に焼き付いている。終戦を知らずグアム島のジャングルで28年間も潜伏生活を送っていた横井庄一さんが、日本に帰ってきた。小学生だったあたしは、両脇を抱えられて飛行機のタラップを心もとない足取りで降りるその姿を、じっと見ていた。そして横井さんは「恥ずかしながら、帰ってまいりました!」と言った。


 この「ながら」は、Oxford Languages and Googleによれば、《名詞・形容動詞語幹など、また動詞型活用語の連用形、形容詞型活用語の連体形に付く》 相応しない事柄が共存する意を表す。内容の矛盾する2つの事柄をつなぐ意味があり、「~でありながら」のような逆説的な使い方をする接続助詞だ。あの時、初めて「恥ずかしながら」という日本語を聞いたのだと思う。なぜなら、子ども心に「へんな言い方」と思った記憶かあるからだ。


 いやいや、言いたいのは接続助詞の用法のことではない。言いたいのは、あくまでも「恥ずかしながら」であって「お恥ずかしながら」ではない、ということだ。恥ずかしく思っているのは自分なのだから、それに「お」をつけるのはおかしい。
 それにしても「お恥ずかしながら」と書く人のなんと多いことか!この前なんか、あるドラマを見ていたら、「お恥ずかしながら」が出てきた。あのベテラン脚本家が書いたセリフとは思えなかった(と、勝手に思っている)。現場で直してそのままオンエアしたのか、若い俳優さんが「あっ、このセリフ間違ってる!」と思って直しちゃったのか、現場で不思議に思った人はいなかったのですかね。


 しかしながら、いろいろ調べていて驚いたのだが、この「恥ずかしながら」という表現、ビジネスシーンでよく使う敬語表現だそうだ。け、け、け、敬語!?それは知らなかった。確かに横井さんの「恥ずかしながら」には、「今更のこのこと帰ってきて、誠に恥ずかしい限り(みっともない)」というような意味が込められているが、そんな「恥ずかしながら」は、今の日本にはないのかもしれないなー。


 ちなみに「お恥ずかしいことですが」とか「お恥ずかしい次第」などと、こちらには自分のことであっても「お」がついている。これは、自分の行動などに謙譲語として「お」をつける表現だそうだ。はぁ~、日本語って難しい。


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