「楽しんだもの勝ち」の呪い。

Twitterのプロフィール欄に書いてある。

「人生楽しんだもん勝ち」

その生き方すごいと思う。
僕には難しい。

その人たちは楽しくないときはどういう心境なのだろうか。
「負け」ているのだろうか。
楽しくないことをしないために楽しんだもん勝ちって書いてあるのだとはわかっているのだけれど、そんな意地悪なことを考えてしまう。

実際に誰かと一緒に居たり何かをし始めたりしたら、楽しくない時間は必ず訪れるはずだ。
その時彼らはどうするのだろう。

今をときめく「YouTuber」の人たちも仕事の幅も増えて、楽しくないというかキツイ仕事も増えていると聞く。

しかし、その人たちが体現した「好きなことで生きていく。」像と、その広告が刺さった人もいるのだろう。

その言葉は素敵だけれど、「好きなことで生きていく」のは至難の業だし、誰も「好きなこと”だけ”で生きていく」とは言っていない。
その「だけ」じゃない部分をどれだけ楽しめるものに変化させることができるかが「勝ち」に繋がるのかななんて思う。

これだけ個人の幸せの多様化が認められてきた世の中。

感情も「喜」や「楽」だけを取り上げるのではなくて、他の「哀」や「苦」も取り上げてやってほしい。
そしたら楽しんでいないことがダメなことなんて思わなくなるんじゃないかな。

「哀」だって良いところあるし、「苦」だって乗り越えた先に上を見上げる力になるときがある。

勝つのも負けるのも疲れるからさ。

これからは「喜怒哀楽を感じたら嬉しい」くらいにしといてよ。

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