見出し画像

【小説】虹色歌灯~ニジイロウタアカリ~⑥

6.ヨウタ:十二月半ばのクリスマスレッド

 
 それは、夢のような、それでいてどこか淋しい時間でした。


 ――学祭に出るの、無理だと思う。
 アキヒロさんからそれを告げられたのは、秋が深まる十月終わり頃だったと思います。
 後期が始まってしばらく、あまり雰囲気は良くなくても、集まることと練習自体は続けていました。そのうちに、十一月の学祭に出るかどうか、毎回議論になりました。コタロウさんが来るかどうかわからないのでステージの所用時間や担当パートも固められず、また、模擬店などをやるにも人手が足りず。
 コタロウさんは、何度連絡しても既読もつかなくなって、大学にもほとんど出てこなくなっていました。アカリさんが日に日に元気をなくしつつもカラ元気でふるまっていたのを、見ていた全員が胸を痛めていた頃でした。
 その頃のアキヒロさんはまだ、ミライさんに強い気持ちがあるようでした。けれど、ミライさんが誰を思っているか、さすがのアキヒロさんも気が付きはじめたようで(一方、トースケさんの方はミライさんに想われているのに全く気づいてないようでしたが……)、アキヒロさんはずっと戸惑いを隠せないようでした。ですが、ミライさんはトースケさんに告白したり、付き合おうと持ちかたりするでもなく、ずっとそのままでいました。このサークルの人間関係を壊したくないミライさんの気持ちもまた、痛いほどわかりました。
 自分は、トモ先輩と話をすることが増えました。
 トモ先輩はボイスパーカッションの師匠なので、ついつい“先輩”と呼ぶ癖がついていますけど。アキヒロさんやミライさん、それにアカリさんみたいな強い気持ちを目の前で見せつけられて、自分やトモ先輩は少し疲労していたところがあったと思います。だから、このまま学祭には出ないという選択肢は、皆にすんなりと受け入れられてしまいそうでした。
 けれど。

 ――じゃあ、学祭はパスして、別のイベントに出ませんか?

 そう提案したのは、自分からでした。
 今歌えるメンバーで、クリスマスソング二つと、バラード二曲。学祭での長いライブは無理でも、短いステージならこなせるんじゃないかと思いました。
 何より、メンバーはバラバラになるかどうかの正念場だと感じていました。そして、このメンバーをつなぎとめるのは、結局は歌で、音楽だと。他のメンバーより自分は音楽経験も浅いんですが、ここまで重ねた日々からそう思っての提案でした。
 アキヒロさんが、ミライさんが、トースケさんが、アカリさんが、ためらいと不安の目で自分を見ました。
 トモ先輩だけが、すぐにうなずいて同意してくれました。

 ――やろうよ、六人用に少し編曲しなおしたり、おれがコタロウのパートに入ったりするから。四曲くらいならクオリティも上げられるだろうし、皆で楽しく音楽できると思う。冬らしいのやろうよ。

 トモ先輩に続いて、アカリさんがためらいながらも賛同してくれました。トースケさんが歌うというと、ミライさんもやると手を挙げました。最後まで悩んでいたアキヒロさんは、最初音響に徹したいと言いましたが、やがてやっぱり歌う、と言いました。
 トモ先輩をはじめとする皆さんの同意に力づけられて、自分からライブの準備をしました。タイミングよく、駅前のショッピングモールのクリスマスイベントの募集を見かけたので、主催者への申し込みも自分が窓口になって、出演交渉をしました。
 そうして、十一月の学祭の賑わいは素通りした翌月半ばの金曜の夜。そのステージを設定することが出来たのです。

 

  大学の最寄り駅に隣接するショッピングモールは、自分たちの御用達の場所でもあります。いつでもうちの大学生がどこかにいますし、バイトしていたりもします。ある意味ではホームみたいな場所かもしれません。
 秋の始まる頃に、アキヒロさんとトモ先輩と一緒にコーヒーを飲んだ店が見渡せる場所に、その仮設ステージはありました。大きな白いクリスマスツリーがそびえたつ吹き抜けの空間。
 自分たちはクリスマスらしい白いセーターと、赤のスカートないしパンツスタイルで統一しました。初めて皆で服を買いに行って、衣装を揃えました。さらに百均でサンタ帽も買って、全員で被りました。

 ――こういうのも、たまにはいいよね。

 アカリさんがそう言うので、皆で恥ずかしさを越えて、最後にはついつい盛り上がって皆で自撮りなんかしつつ。きらきら光る白いステージに、赤い衣装の自分たち。クリスマスカラーに染まって、心が浮き立ちました。
 気づけばいつの間にか、揃って笑顔になることが出来ていました。

 司会者に紹介されて、自分たちはステージに上がりました。ベビーカーを押す家族連れ、老夫婦、モールに連なるショップの店員さん。いつもあまり接点のない年代の人々が、自分たちを興味深そうに見上げていました。
 一曲目は、この日のために準備したクリスマスソング、赤鼻のトナカイ。トモ先輩のジャジーなアレンジが光ります。
 ステージは反響して、いつもと全く環境が違いました。互いに互いの声を見つけられず、音程もリズムもすぐに迷子になりそうでしたが、こっちにアイコンタクトを送ってくるトモ先輩と目が合い、いつもの感触を思い出すことが出来ました。
 少し落ち着いて歌いだした二曲目は、メンバーお気に入りのスローバラード。トースケさんのリードが、天井の高い空間を突き抜けていきます。

 ……あ。

 三曲目、今年一番流行ったJ-POPを歌い始める直前、横にいたアカリさんが肩をそびやかせて小さく声を上げました。
 その視線を追ったのは、たぶん自分だけじゃなかったと思います。ミライさんも、アキヒロさんも、トースケさんも、トモ先輩も、それをほぼ同時に見つけたんだと思います。

 ――客の中の、コタロウさんの姿を。

 アカリさんは手を伸ばしかけて、下ろしました。既に始まっていたコーラスの声が揺れて、しゃくりあげをこらえて音程がずれるのがわかりました。ミライさんの声が、アカリさんの声と一緒に揺らぎます。かなしみは、歌を通じて伝染してきました。だから、息を吸うと胸が痛むような気がしました。吐き出すと、心が痛みました。 

 でも、曲を止めるわけにはいかない。

  そんな気持ちで、息を吸い、吐いて。
 この曲は、自分が初めてたった一人で任されたボイスパーカッションでした。必死に刻むけれど、苦しくて。なかなかトモ先輩のようにはいかなくて、そのことが悔しくて。
 それでも。
 不安定な音を晒しながらも、ドラムが皆の推進力になれるように、フィルイン。

(――伝われ)

 かなしみではなくて、曲を前に進める力を伝えたい。
 そう思いました。
 
 自分は大学まで音楽経験なんて全くなく、高校まで陸上部で黙々とハードル跳んでいるようなタイプでした。記録も残さず、ただ黙々とやるだけの。その行為が楽しいと分かったら、自分なりのペースで楽しむのが好きなので、音楽をやってみたいけれどサークルは向いてないんじゃないかと思っていました。
 けれど、一人一人が責任を持って自分のパートを果たす、楽器ではなく自分の声で渡り合っていくアカペラに、とても惹かれるものを感じたのです。春の日に皆さんの歌から受け取った何かを、今日は自分がちゃんと、伝えたい。ただただその一心で、唇から音と息を弾けさせました。

 自分の音に、皆がハッとするのがわかりました。

 すぐに反応を返してきたのは、アキヒロさんでした。しっかりと音程を保って、皆を支える。そういう強い意志が、自分のリズムにぐんと寄り添って、深くて確かな音を奏で始めました。
 トースケさんがそれに乗って、伴奏コーラスを置いたまま歌が始まりました。トモヤさんが素早くそれに合わせると、ミライさんの声が震えながら戻ってきます。

 曲が、進み始めました。

 やがて。
 アカリさんの声が、いつもの位置にするりと入ってきたのがわかりました。自分がここでちゃんと奏でているのが皆に伝わったんだとわかって、胸が熱くなりながら、必死でリズムを刻み続けました。
 
 遠くのコタロウさんは、少しの間、じっとこちらを見ていました。いつもの笑顔はなく、その目は遠目からも真っ赤に見えました。
 その姿は、すぐに人ごみに紛れて消えていきます。アカリさんはその後姿から目を離さず、けれどそれ以上は歌を途切れさせないまま、強く拳を握っていました。 

 コタロウさんの背中が消えた後、最後にもう一つ、クリスマスソングが残っていました。Dick the Halls(ひいらぎかざろう)。真っ赤な実を付ける、ひいらぎの歌。
 fa la la la……、六人全員でオクターブユニゾンが、広い空間に響き渡っていきます。その時にはもう、誰の声にも迷いはありませんでした。
 皆の想いを乗せて、薄いガラスで支える天秤みたいに、繊細かつぎりぎりのバランスで歌は美しく保たれて。
 そして、ゆっくりと終わっていきました。

 

 「……今日はありがとね、ヨウタ」

 拍手を受けながらステージを降り、開口一番にアカリさんが言った言葉はそれでした。トモ先輩には、すげぇよヨウタ、めっちゃ良かったと肩を叩かれました。
 高揚感にお互いを認め合いながら、でも何か欠けていることを誰もが感じつつ、皆でクリスマス色の帽子を外しました。かなしみの風穴を塞ぐように、自分たちはお互いに手を強く握り、握手を何度も交わしました。
 誰の手のひらも、切ないあたたかさに満ちていました。

「……やれてよかった。ほんと、ありがとうヨウタ」

 アキヒロさんが深々と頭を下げようとしたので、慌ててそれを止めました。少し泣きそうになりながら、自分もまた必死に、同じ言葉を口にしていました。

 ありがとうございます、と。

* 

 それは、夢のような時間だったと、自分は今でも思います。
 淋しさと喜びが交差する、儚い一瞬。肌の下を流れる人の想いが、目に見える季節、冬。
 たった一人が欠けることで、自分たちはもう心の一部が欠けてしまったようでした。この先の未来を思い描けないまま、寒さが深まっていきました。

 夜明け前がもっとも暗い時間というように、冬は春の直前にはひどく冷えるように思います。
 その季節を抜けきるまで、あと少し。
 あの喜びと淋しさ、そして達成感を皆で抱きしめた後だから、きっと、ここから先へいける。

 自分はそう、信じたいと思います。

間奏:年末年始の無色透明

 
「……もしもし、お母さん? アカリです。久しぶり。元気? え? こっちは元気だよ。……え? 全然連絡もしないでって言われても。時々LINEしてるじゃん。え、声? ……あー、そうだね。声は大事だよね。うん。時々は電話も、するようにするよ。

 うん。……そう。この冬は帰省しないよ。夏は帰れたけど、今ちょっと、ほんとお金なくて。ははは。あー、いや何でもない。帰省代? いや、いいって。そういうんじゃなくて。

 冬休み、ほとんど毎日バイト入れちゃったんだよね。学習塾で、小学生とか中学生教えてるんだ。冬期講習びっしりあるから。あー、うん。割と楽しいよ。案外、教師向いてるかもなって思ったりしてる。ん? 教員免許? 履修してる。うん。そうだね、教育実習で母校に行ったら、きっと高校の先生にはびっくりされるよね。休みがちだったし、部活でハブられたりしたのにって。

 冬休み明けは大学もすぐテスト期間だし。それ終わったら春休みだから、三月になってからゆっくり東京に帰るつもり。――え、成人式? 出ないって。中学高校の時の友達ほとんどいないし。夏に写真前撮りしたから、それでいいって言ってたじゃない。

 それよりも今は、こっちにいたいんだ。バイトだけじゃなくて、サークルもちょこちょこ集まるし。それにちょっといろいろ、……すっきりしないこととか、はっきりさせておきたいこともあって。この冬の間に出来ればなんとかしたいっていうか。うん。

 変わったねって? あたしが? 前と? うーん、どうなのかな。そうだといいな。
 去年は受験で苦しい思いもしたし、最初は進学にも不満はあったんだけど。でも、今は違う、かな。

 いろいろ思ってもみないことがあったりして、あたし自身が変わりたいって思って。そして、ちょっとずつでも、変わりたい方向に変われてるといいなって。うん。確かに、その辺は少し、前とは違うのかも。

 好きな人ができたから、かなぁ。――え? そんなにびっくりしなくていいじゃん。……ああ、今はちょっと、そんなにうまくいってないんだけど。でも、好きだから、ちゃんとしたいなって。うん。別れるにしても、この先に進むにしても。――この辺はまぁ。そっち帰った時にね。

 うん。また電話する。LINEも。家離れて、ほんと実家のありがたさを痛感してますって。じゃあ、また。良いお年を!」


***************************:
NEXT:7.コタロウ:一月半ばのイエロー へ つづく

全体目次
1.アカリ:四月初めのオレンジ
2.アキヒロ:四月半ばのブルー
3.トースケ:五月初旬のディープグリーン
4.ミライ:七月半ばのミントグリーン
5.トモヤ:九月上旬のパープル
6.ヨウタ:十二月半ばのクリスマスレッド
~間奏:年末年始の無色透明~

7.コタロウ:一月半ばのイエロー
8.アカリ:三月初旬のレインボー

よろしければサポートお願いします。これから作る詩集、詩誌などの活動費に充てさせていただきます。