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スエズ運河座礁に係る補償について

こんにちは。
スエズ運河座礁から離礁、待ちぼうけを喰らった422隻も無事に運河を通行したそうです。3/23に座礁し4/4で海運の要衝も平素に戻った。

保険の成り立ちは紀元前

 海上貿易とともに発展したした損害保険。身近な保険として、生命保険、海外旅行保険、ペット保険などでしょうか。まず、損害保険のことを触れた上で、海上保険に言及します。

 損害保険は、自動車保険、火災保険、傷害保険などが主流でしょう。各種の災難に適合する現在の損害保険の歴史は、古代ギリシャまでまでさかのぼります。
 諸説あるが、紀元前2000年頃のバビロン王ハムラビの時代、隊商(キャラバン)の間に保険と似たような取り決めがあったとされう。

 「資金を借りて出発した対商が災害に遭ったり盗賊に襲われて荷を失った場合、損害は資金を貸した者が負う

海上貿易が発達

 海運に纏わるスエズの歴史に考察することでも理解できる。

 欧州は貿易する上で、古代ギリシャより海上貿易を発展させてきた。その古代ギリシャでは、荒天のほか盗賊に遭遇するなど被害が多かったとされる。そのため、嵐や海賊などに遭遇した場合「荷主と船主で損害を分担し負担する」という習慣ができ「海上保険」が誕生しました。
 15世紀半ばから17世紀半ばは大航海時代。荒天や盗賊の被害は当時と変わりない。ただ、産業革命を経て貿易は拡大する。そのため、扱う金額も格段に多くなり、被害額は貿易額と比例関係にあった。そうして、航海の失敗時は金融業者が積荷代金を弁済し、航海が成功した時は手数料を支払うという仕組み誕生してます。そうして、保険が組織的に交わされ海上貿易とともに損害保険が発展していった。

海上保険は陸上の保険「火災」への対応開始

世界の三大大火
ローマ大火、明暦の大火、そしてロンドン大火

 1666年のロンドン大火。従来は海上保険だけだった損害保険が、火災による被害まで補償するようになった。同年9月のロンドンのパン屋の竈門から燃え広がったといわれる。炎は4日間にわたって燃え続け、ロンドン市内の家屋のおよそ85%が焼失
 この事件がきっかけで、1681年に世界初の火災保険会社「ファイア・オフィス」がニコラス・バーボンにより創業され、その後、イギリスでは次々と火災保険会社が誕生しました。 

保険組合「ロイズ」誕生の秘話

 英国の海上貿易の玄関であるロンドン港。その近くに、ロイズコーヒーハウスがあった。エドワード・ロイドが経営するコーヒー店。
 そのコーヒー店で、船主及び海上輸送の関係者が立ち寄って情報交換をしていたそうです。その店には保険引受業者も来店し、保険取引をしていたそうです。そうして国際的な保険組織「ロイズ」が誕生していった。

日本での損害保険

 日本は、互助の精神が昔からある。無心、義倉、無尽などがそれです。起源は、平安朝時代または室町時代まで遡る説が有力です。
 日本においても、損害保険の歴史は海上からとなる。古来より日本は中国など海上輸送を伴う貿易をしていました。当時より、海難事故などの危険を伴います。
 江戸時代になり、活躍した朱印船。17世紀前後にかけ朱印状(海外渡航許可証)を得た船により、当時の日本と外交関係があったポルトガル、オランダ船や東南アジア諸国と海外交易を行った。 朱印状を取得した日本の貿易船は、1航海につき金融業者が証文に基づいて金を貸す。そして航海が無事に終われば利子をつけて元金を返済、しかし船が難破した場合は利子も元金も払わなくていいというもの。
 「抛金(なげかね)」という制度です。損害保険のベースと言われる。

 1879年、日本初の海上保険会社「東京海上保険」が誕生する。現在の東京海上日動火災保険である。
 1888年、日本初の火災保険会社「東京火災保険会社」が誕生、現在の損害保険ジャパン日本興亜である。

 近代の保険制度は、1859年横浜で損害保険業が外国保険会社により始まった。1867年に福沢諭吉が「災難請合の事-インシュアランス-」と題し、火災請合と海上請合を紹介し、日本における損害保険が本格的に始まる。
 そして損害保険は、今や宇宙まで広がる。人工衛星、航空機、医療保険における介護などへ補償し、治療費を補償するペットにまで拡大
 ビジネスから個人まで、さまざまなリスクを補償。そして、新サービスが生まれ、新リスクが誕生する。今はそんなに時代になった。

スエズ座礁事件と補償

 最後に、今年3月23日にスエズ運河で座礁したコンテナ船「エバーギブン」について。すでに離礁し、足止めされた船舶は計422隻は解消された。その遅延で毎日約96億ドル(約1兆500億円)の損害との試算がある。

 スエズ運河の通航料は大型船で約3000万~5000万円/1回。1日に約50隻が通航するので、1日の遮断で約15億円以上の損失と試算できる。
 船主である正栄汽船は、

 「三井住友海上などの船舶保険に入っていますが、保障額は契約によって違うので申し上げられません。足止めされた船からはまだクレームを受けていません」(船舶管理部)

と回答する。正栄汽船、三井住友海上のほか、上述した東京海上日動火災、損保ジャパンに加入していると思われ、タンカーを所有しており石油流出事故への対応する保険にも加入してるはずです。(P&Iクラブなど)
 従って、原因はともあれ、保険会社が賠償金を負担ことになる。また、足止めされた422隻の船から損害賠償を請求との予測もある。しかし、過去10年間における同運河での座礁事故が25件。座礁船の船主に賠償金を求めた前例がなく、仮に損害賠償が生起しても保険会社が補償する
 当然、提訴するということは考えられう。しかし、裁判は時間・費用がかかり、賠償してもらえるかどうかも分からない。歴史からも保険の心強さが理解できる。