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試行錯誤することの楽しみ

『挑戦』っていう言葉は、昔から圧が強くて好きではない。
いきなり何の話って感じですよね。先週のつぶやきから3週間経ちました。
とりあえず無事月締めは終了しました。世の中の皆さんもお疲れ様です。
でも、また明日から地獄の一週間ですね。労務管理もしているので、毎週毎週自分の事業所に所属している社員分の勤怠を管理しているのですが、結構な人数がいるので、しんどい。
何がしんどいって、毎週のことなのにやはり、勤怠システムに勤怠を(ひどい人は一週間分)入力しない人が毎回出ること。もちろん忠告しその日のうちに入力してもらわなくてはならない。
同じ忠告を似たような人に何度も何度も毎週毎週しなくてはいけないのってなんの修行なんだろうと思うほど空しいものです。
自分の存在価値を薄められているような感じ。だって聞く気ないし、毎週のことだけど自分の業務予定の中に組み込む気がないってことですから。
自分の勤怠なんですけどね。そのままの内容が自分の給料になるんですけどね。
まあ、放っておいても会社が代理入力してくれたりしてまさか給料が出ないことなんてないって根底があるから、そりゃね、重要視しませんよ。
それだけ自分のいる会社を信用しているといっていいのか、あまりに自己管理なってない甘えというのか。ま、本人の問題であり、これは私の問題ではないですね。

そう、今日も愚痴から始まりましたが、言葉の圧力の話。
言葉の圧力って、言葉そのものにはなくって、たぶん受け取り手の背景にある言葉を受け取るときの印象によるものだと思う。
私は『挑戦』と『自己開示』に圧力を感じてしまいます。
じゃあ、上記の言葉を使わないのかといわれると無意識に使ってる時もあると思う。特に『挑戦』は。後者の『自己開示』は使わないな。
挑戦とか自己開示とかって、たぶん自分が考えて発する際には圧を感じない。圧を感じるのは他人の口から聞いた場合。
きっと、私には『挑戦』(しろ)とか『自己開示』(しろ)って後半に命令のような圧を感じるからだと思う。実際、世の中で上記の言葉が広められる時って、『挑戦』しないとついてけない、『挑戦』しないとイケてない、『自己開示』して色んな仲間と繋がろう!、『自己開示』すれば人と仲良くなれる!そして人脈が広がる!、『自己開示』しなきゃ友達できない、みたいな、その言葉の持つ強烈な効用を推してくる時が多い。
それをなんだろう、一般化された正義のような…しない人がおかしいような空気を作る。いや、発している方もそこまで悪意的なものを考えて広めているわけではないだろうけど。あくまで強烈なインパクトを大衆というか世の中に広めようとすると上記のような感じになるんでしょう。

そういうことを考えていると安易に他人に『挑戦』とか言いづらい。なんか空気を読む文化の根強い日本では、近しい人に言われると「いやだ」っていうのもなんか、気分を害しそうで怖い。いや、あくまで私個人の感想ですけど。
だから、私としては『挑戦』という言葉を使う感覚としては、「試行錯誤を楽しもう」ぐらいの感覚が一番しっくりくる。
自己開示はね、HSP気質もあって、広い交友関係は好まないので、他人に『自己開示』したほうがいいよ!なんて善意であっても言われたら少し、いやだいぶ抵抗感がある。自己開示って、自然であってほしい。頑なな人には頑なな人なりの理由があるんでしょう、きっと。私はあまりオープンな方ではないです。子供のころからそうかと言われれば、昔は無防備にオープンにしすぎていたような気がします。そんな時に寄って来る人って、どういった人が多いかというと依存的な人であったり、支配的な人だったりする。あくまで私の経験上ですが。なので、成長とともに自己開示には慎重にならざるを得なかったといえます。自分を守るために。
それに大人になって思うのは、自己開示する相手ってとても少なくなったけど、でも「自己開示しよう」と思って自己開示した相手はいないってことです。何も考えず抵抗もなく自己開示していました。本能的というか今までの経験則に基づいた「勘」で自分で見極めているのだと思います。
ただ、それが全部正解だったかというとそうでもないです。勘はあくまで勘。それまでの自分の経験則でしか得られない「勘」ですから。


どれだけ慎重になっても自己開示してみないとそれが、正解だったのか、不正解だったのかはわからないです。でも経験は積めるし、自分が不正解だったと感じた要因を知る、自己理解を深めることができる。(これは自分への言い聞かせでもある)
そう考えると「自己開示をしよう」っていう提案はとても建設的な提案だといえる。まずやってみようっていう。でも、それは強制的ではダメだし、あと「人脈をつくるため」とか「コミュニティに上手くなじむため」とか確かに生きる上で必要ではあるけど、その手段として安易に使っていいものかと思う。そもそも人脈や特定のコミュニティになじむための自己開示って本当に「自己」なのか。ある程度その人脈や特有のコミュニティに適するようカスタマイズされた「自己」ではないのかと疑ってします。
それって将来的に、自分を苦しめそうな気がする。
なんだかとっても真面目な話になりましたね。
最近は、自己に対する理解を深めようといろんな本を読んだり、散歩に行く回数を増やしたり(休日しか無理ですけど)、上記の本にある自己に向き合うワークにじっくりと面倒くさがらず焦らず取り組む時間を少しでも継続的にとるようにしています。

あと、やりたいと思って「現実的には私の人生に関わりないし、何か将来的に意味があるものにするには無謀だ」とか根底にある合理主義が私をとどめていたやってみたいと思っていたことを経済的に許すようなら試すようにしています。本当に必要でないと自分が納得できる日が来たら辞めようと思って。某アカデミーの講座を受講してテレワーク検定に挑戦(まだ試験は受けていません。学習中)したり、家でできるオンラインのプログラミング講座を受けてみたり。私は私が考えているより「学ぶ」ことに貪欲で好きらしいです。これはいい発見です。
先のことを考えすぎて止まっている時間が今は惜しい。

試行錯誤を楽しみたい、楽しめるようそれこそ試行錯誤しています。
よし、今日も自然な前向きで終わった(笑)

明日からまた6月の月締め業務が徐々に始まります。通常業務と季節的に発生する業務と並行するので先月より地獄です。
が、このnoteで頭の整理ができてすっきりしました。

まだ、やってみたいことがいくつか頭の中にあります。ここで言うことで後戻りできない心情を作るのもいいかもしれませんが。また今度。
では、今日も一日お疲れ様です!

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