見出し画像

現実と条件と希望とバイアス

以前書いた、とてもお世話になって頼りにしていた上層部にいた先輩がとうとう7月最初の週の金曜日で最終出勤日を迎えた。
そもそも会うことは数える程度しかなかったし、業務や相談で社内メールやチャットでのやりとりが主ではあったが、新しく支店が立ち上がって、自分のいる箇所がその支店の管轄になってからがまともな業務上の付き合いだから3~4年ほどになるだろうか。
数字で年数を見ているとなんだか短く感じるけど、密度の濃さから言えばもっと長かったと感じる。
はじめ、業務だけのことに職場の人間関係も含めた相談をもちかけたのは私だった。たぶん、業務妨害といえる根も葉もない陰口を周囲にばらまかれていると知って、上層部にいるベテランの彼女に現状を、嘘をばらまく人間からの一方的にでなく、こちら側からも伝わるようにと打算的に相談を持ち掛けたのがきっかけだった。嘘をばらまいていたのも、異動してしまった先輩よりは年は下だが、私と入社時期が3年先の女性の先輩(と認めるのも嫌なほどの人だが)だ。でも、どちらも中途採用なので、年齢も3歳差というわけではなく、はるかに向こうのほうが上。

基本的に自分は年齢に対するバイアスは薄い方だと思っていた。
個人的な好みによる感想とは別に、例えば周囲が言う「若作り」に対して「イタイ」とまで強い評価は正直あんまりもたない。周囲に合わせて「そうだね…」と同意することはあっても(たまに反対意見言うのがしんどくて同意してしまう)。基本的なスタンスは「本人が(自分の状態が)好きならそれでいいじゃないか」という感じだ。
第一、そもそも周囲の一般的な評価とかそんなのを無視して、犯罪的なものでない限り「これが好きだ!」っていうことにファッションであったり、職業であったり、生活スタイルだったりを貫き通す個性を私は羨望も含んで好きだ。見ていて自分も没頭する何かを見つけたいというウズウズするような感覚を得て気持ちがいいから。
それでも、それは結構無関心が生む感覚だったのかも。好きな人には基本的に肯定的だし。

だけど、異動した先輩のヒステリックだったり、件の嘘をばらまく先輩だったりに遭遇すると、びっくりするのと同時に「自分よりはるかに人生経験を積んでるくせに」っていう年齢=熟成という世間的にありきたりな年齢に対するバイアスが眠っていたのに気づいた。矛盾してるな。
でも、こういった矛盾も人間にありがちなことなんだろうな。
あと、自分の場合は、肯定的に思うか否定的に思うかっていうところには、バイアスを理由に挙げているだけで、対象の人物への好き嫌いが大きく反映しているんだなと思う。バイアスを理由に挙げているだけといっても勿論バイアスにかかっていることに変わりはない。

つまり、年齢=熟成、というバイアス。自分より人生年数を積んでいる人は自分より落ち着いていて理性的で独断的ではないし平等で性悪的な行動はしないというバイアスがあったのだ。でも、普段、会社で好き嫌いの判断以前の職場の人間に対しては「年齢」や「性別」や「役職」で何か態度を変えようと思ったり委縮したりとかは基本的にないような気がする。フラットというか。いや、でもバイアスっていうのがそもそも無意識の領域だから自覚は持てないものだし、バイアスがかかっていないていう人は厳密にいないだろうから、私もある程度絶対持ってるんだろうなと思う。
そして、相手の信じられないような態度や行動に自分が直面すると、こういうバイアスが潜んでいることを強く自覚するってことなのかも。

何が言いたいかというと、上記の辞職した先輩への周囲の人の一般的な評価に少なからず私が傷ついているっていうことだ。
彼女は、勤続30年以上いた会社を、次の職が決まっていない状態にも関わらずスッパリと辞職した。年齢も実際の数字は知らないのだが、単純計算で50前後くらいだろう。つまり世間的な転職は年齢制限に引っかかって難しい。
本人も自覚されていたけど。でも、「なんとかなるわ」って感じで重く受け取りすぎてない感じで。最終出勤日まで残りひと月とかのあたりのチャットでも「そういや、転職の面談とかで結構きつい質問とか受けるんだっけ?失念してたわ。今更緊張してきたわw」って書いてたから世間知らずなところもあるのか無謀なのかよくわからないと思うところもある。でも最終的に「なんでもやればいいわ」っていう感じが現在にっちもさっちもいかなくて硬直した状態で「今の環境から離れなきゃ」って自覚できているのに働いている自分には、少しいやかなり救いだったのだと思う。でも、そういう先輩がいるって話すと周囲の人間は家族も含めて「今後どうするの」、「絶対苦労する」、「絶対まともな転職なんてできない」、「絶対生活に困窮する」だ。言い切り方の否定が多い。
聞いててうんざりした。いつからこんなに先(未来)のない国になったんだろう。いや、前からなのか?
先輩の30年の実績は決して無駄ではないし、それは着実に彼女の業務遂行能力を高めているし、やろうと思ってできることはたくさんあるはずだ。それがたった「年齢」という条件だけで現実では「職業につけない」って。あとは「性別」と「一般職」であることも理由に挙げる人もいた。
そう、どれだけ総合職と変わりない業務内容で業務形態で「一般職」という分別だけで安い賃金で使い果たされようとも、世の中は「一般職」につく女性の今までの業務実績を「キャリア」とは認めない。
あとは、田舎であることも大きい。事務系の職業で転職となると、推奨される条件は「人事・労務」「経理」など3年以上の経験など一般的に本社管轄の総合職事務を想定した内容になっていることが多い。本社なんて東京を中心とした関東圏の一般職事務なら経験を積める可能性はあるが、地方の一事業所に勤務している一般職事務にはまず経験など積めるはずがない。
細かく考えると、私なんて日々多くの人間の勤怠を管理しているし、「働き方改革」に対応するよう長時間労働管理の一部を担っていると考えると「労務」はしているだろう。でも、たぶん求めている経験はそうじゃないんだろうなと思ってしまう。
これは、転職活動をやる前からのネガティブ思考も入ってる。

だが、大学生時代、モラトリアムをこじらせた私は、就職活動に大きく遅れを取ったあの時の苦い経験からの実感もある。
大人が求める真面目で従順な生徒を唯々諾々と演じていけばとりあえずどうにか適当な会社で就職してあるいは公務員として働いて適当なところで適当な人と結婚しているんだろうって漠然としか考えてなかったつけがここにきてド~ンと返ってきた。大学に入学し、親の管理下から抜け出して私が感じたのは、自分がずっと我慢してきたっていうことだ。人との会話、人との関わり方。「こうすべき」「こうすることが求められてる」がずっと無意識の行動基準になってた。すべてが苦痛だったことを「苦痛であることは変。無能。」だって思って、そう思われることを恐れてすべて蓋をしていた。

すると、どうだ。自分で自分の生活をコントロールできる一人暮らしを始めたら自分は片端から苦痛であるすべてを避けるようになった。人混みを避けて逃げるように好きな本屋をはしごだけしてさっさと帰る休日、新しい人間関係の構築を避けてサークルには入らない。講義や日々の昼食相手となる同級生のみ数人友人を作って人間関係はそれで終わり。人目の多い時間帯の外出を避ける。自分を大事にするということが具体的にどんなことであるのかと必要性も感じていなかったからセルフネグレクトのような日々。ひどいときは朝食は珈琲いっぱいだけ。講義は必須科目を最初の2年で一気にとって、残り2年はほぼ週に1日2日講義に出ればいいだけ。でもバイトはしない。残り数千円になっても毎月の親からの仕送りで生活する日々。ほぼ一人暮らしのアパートに引きこもり。

そんなことを4年間続けていたら…他人とまともに道ですれ違うにも冷や汗が出るほど緊張し、面と向かって話すときは呼吸のペーㇲどころか呼吸を忘れがちで気を抜くと過呼吸になりそうになる。話し方も忘れる。話しているときの視線のやり場も忘れて挙動不審になる。呼吸するだけでも生きていることが不安で不安でしょうがない。体の奥底から生まれる理由の分からない不安への対処法もわからない。わからないから恐怖がわき、また不安に陥るという負のスパイラル。
自分が世界の異物になってそれを周囲があざ笑っているような気がする、いやそんなのは自意識過剰だって思うけど、実際そうなんだけど体は緊張と不安で硬直してしまう。卒業間近でまさに社会不安障害一歩手前(いや、もう半歩か一歩なってたのかもしれないけど)だった。
まだこれを完全に克服できたかというと多分できていない。
昔はできていたことがすごく難しく感じるとき、この時の症状がふっと出てくる。でも直視しすぎるのもよくないので、深呼吸して取り掛かる感じだ。

当時、結局頼りにしたのは地元からの友人たちだった。幼稚園からの付き合いや高校からの付き合いで昔からの私を知っている人たち。大学のスクールカウンセラーは無料だからまず話を聞いてもらって自分の現状を把握することを勧めてくれたり(これもネットで予約できたからできたようなもので、直接学生課に行ってとかになると怖くて動けなかったかもしれないけど)、何もしないことに不安が増すからまず動きたいけど一人では怖くて身動きできないとなったら、一緒にマイナビやリクナビの登録をしてくれり。
因みに大学時代の友人は、むしろ現状を訴えても逆に責められることが多くて疎遠になった。「自己責任」でしょっていう感じ。
疎遠になったというより、卒業して地元で就職して落ち着いてから連絡が来てもどうしても「仲良く」する気にならなかったので自発的に疎遠にした。
動きたいのに怖くて怖くてしょうがないっていうあの強烈な恐怖感は今でも忘れない。そんな自分を情けないと思った気持ち、そこを更に他者に責められる辛さ。
そう、でもなんとか就職説明会とか他人が怖いながらもいくつか行っても、まだ秋口で卒業もしてなくてもその時点で私は「新卒」ではなかった。
そう、「卒業」してなくても、その年その年の就職活動期の全盛期が過ぎれば「新卒」ではない。ちなみにその時期の説明会は「第二新卒」も対象になっていたけど、私は「第二新卒」でもないのだ。宙に浮いた存在。で、聞かれるのは新卒でも第二新卒でも募集期間ではないとかいう意味の分からない一言。いや、この説明会の対象がそれだって聞いてきたんですけども。
で、どういった人材を求めているか聞いてみると「資格は?」「なにか経験は?」だ。そんなもの、今の時期に説明会に来るような明確な目標のない学生が持ってるわけないだろう。中途採用希望の社会人ではあるまいし。
と、逆ギレのようなことも今なら思える。

大卒の新卒レールから抜けるということは、これほどあっさりと枠から外され行き止まりになるのかと心底驚いた。いや、引きこもりなだけあって私は本当に世間知らずだったのももちろんあるだろう。現実=就職から結構目をそらしていたのもある。今更「自己」を「開示」せよといっても開示するものって何があるのかわからなかったし、私は「自己」を「評価」する基準も持ち合わせていなかったのだ。何をアピールするのだって感じである。スタートラインにも立てていないのだ。何も考えず他人に行動基準という船のオールを渡していたら、時期が来たら「自分で漕げ」と突き放されてしまった。引きこもり生活のせいで、同級生がどの時期から就活を始めてどれくらいに終えてるのが理想なのかとか全く知らずに気づいたらこんな時期。いや、なんか周囲が動き出しているようなことを心の片隅で気づいていたけど、見ないようにしていたのだ。
確かに馬鹿だと思う。結局自分で自分を追い込んだだけだから。
でも、社会人になって思うのは、あの時期は自分の人生にとって必要な挫折だったのだと思うのだ。今更どれほど自分を責めたところで過去は変わらないし、もう一度あの頃に戻っても同じ結果の繰り返しだろうと思っている。
HSPという言葉に出会って、あの頃の自分がああなるのは至極当然の流れだと腑に落ちたし。

でも、知ろうとしなければ知らされず、わからないまま「自己責任」で片づけられるっていうのは、社会人になっても起こることなんだとしみじみ思う。
一般職で入っても、キャリアにはならない(全くとは言えない、それこそアピールの仕方によるかもしれないし、同じ一般職希望なら可能だろう)、次のステージに進みたい、あるいは就業環境が悪化したから良い環境へ移行したいとなっても世の中には表立っていえなくても年齢制限があるっていうこと。そういうことを知ろうとしなければ誰も教えてくれない。選択を迫られた瞬間、その現実を教えられて身動きができなくなる。会社はもちろん人材に逃げてほしくないからそんなこと若いうちから教えはしない。そして会社の定義が社会の定義のように教えておいて、現実はその会社でしか通用しないものだったり。
知識を与えないということは怖いことだ。それも情報コントロールの一つだろうと思う。でも、すべては「自己責任」なんだろうな。

先輩がこの現実を全く知らなかったわけがないと思う。へらっとしてスパッと辞めてしまったけども。きっと彼女の中にも何かしら基準があって、満たさないからこの会社を辞めたってことだと思う。推測でしかないけども。
それを、ただただ厳しい現実を取り出して「世間知らず」「無謀」「絶対無理」だのと彼女の人生になんの責任も負えない人たちが好き好きに責める。
大変とわかっているなら、ただただ応援すればいいではないか。どっちにしろ彼女の人生に責任を負えないのだから、無責任に変わりはない。だったら鼓舞する方を私は選ぶ。
本当に周囲のこういった枠外に入った相手に対する一貫した責める対応は怖い。はっきり言って。私もあと1年も満たないうちに、辞めるときは責められる年になる。
因みに、大学時代の就職説明会の求めてきた人材って、社会に出てから色んな年齢層の人に会ったけど、「そういない」。採用する面談をする人側に資格なんて持っていない人はざらだし、すぐに実践に移せるようなスキルやどの会社でも通用するようなスキルを持っている優秀な人材は本当に限られているってことだ。ほぼ会ったことない。一応、一部上場企業にいるけれども。現実なんてそんなものだ。
本当に馬鹿馬鹿しい。

年齢、世間的なよくわからない標準のキャリア、性別、そんな意味や意義のないフィルターにさらされない働き方とはなんだろうか。
私は模索するし、勉強をやめない。生きていく限り、向き合うつもりだ。
年齢=成熟なんて単純バイアスに振り回されないように、自分の求める「成熟した人間」になれるように追い求めていきたい。たぶん死ぬ瞬間まで。

なんだか、普段以上に一段とまとまりのない内容になってしまった。
最初は単純に年齢とか性別とかのフィルターで勝手に先輩の未来を推測して判断する周囲に腹が立ったっていう気持ちを書くつもりだったのだけど。
きっと自分自身に重なった部分もあったんだろうと思う。
といっても、責める人たちはそうなってしまうのは理解できる。だってそういう世の中の教育や空気にさらされて生きてきたんだもの。それが「当たり前」で「現実」なんだから。この人たちから言わせれば、この姿勢を否定するだけで私は「世間知らずの甘ちゃん」なんだろう。
でも、責める内容はある程度理解できても責めるような評価を下す必要はないなって思うのだ。他人の人生に。
私はこういうところがしばしば冷たいって言われるけども。

しかし、まとめるのって本当に難しいな。でも、7月に入って去来した胸中のモヤモヤは吐き出せたような気がする。吐き出すって大事だから。内容の整理とか矛盾とかとりあえず置いておいて。数日後、数か月後、数年後に読み返して、いややっぱこの考えは自分が間違ってたかもだとか、今でもそうだと思ってるだとかの見返りになればいい。

あ、そんな奴の近況としましては、最近はテレワーク関係の資格を受験しました。オンラインだから外出しなくてもいいし。結果は2か月後かな。次は何をしようか。自分のために必要な知識に沿った資格や勉強を考え中。
あんまり転職のための資格ってなると集中できないし、つまらないし、身につかないのであくまで自分の関心があって自分のためになるもので。

転職もね、ほかの会社に移っても私自身の抱えている問題の解決になるのかここ数年真剣に迷っている関係でずっと止まってる。ただ、あまりにも時間の拘束のキツイ会社なので、まずここから出るのも大事かもって思ってるところです。でも、自分の中で今年中に結果を出すつもり。
よし、来週から夏期休暇前の無理な月締スケジュールになるのでまた忙しいし、体調を整えて頑張りすぎず対応します!一回でも倒れたらね、有無を言わさず辞めますw
ではでは、皆さんもお疲れ様です!

サポート頂けるんですか???!ありがとうございます! 頂いたサポートは語学等の勉強の教材や筆記具代、あるいは勉強後の休憩のお茶代に充てたいと思います!