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モロッコのお手伝いさん

2001年から2016年まで、マラケシュで暮らしていた時の、一番身近なモロッコ人女性は、お手伝いさんでした。「お手伝いさんなんて羨ましい!」とたまに言われます。確かに、子供が小さい時に家事や育児と仕事の両立がスムーズだったのはお手伝いさんがいてくれたからこそですが、本人が結婚するまで、長く働いてくれた、今でもコンタクトがある人もいれば、困った人もいました・・・・

お手伝いさん第一号

モロッコで暮らし始めたのは、24歳の時。
当時、付き合っていた元夫は、他の街で働いていたので、私はマラケシュの小さなアパートで一人暮らしを始めました。
アパートは、マジョレル庭園裏側の住宅街の50平米の小さなアパートで、室内と同じくらいのテラスがありました。
週末ごとに元夫と行き来していたのですが、ある日、夕食の片付けをしながら、「あなたがキッチンに入ったことがないことは知っているけれど、私も仕事があって忙しいから、洗い物くらい手伝ってくれる?」と言ったところ、不穏な雰囲気に….

一週間後の週末、いきなり初代お手伝いさんが登場。
元夫は元夫なりに考えて、というか多分家族の誰かに相談して、結論として、誰かを送り込めばいいだろう、と考えたのでしょう。
これからは彼女が家事をするから、君は仕事だけできるよ!という触れ込みでやってきたのは16歳くらいの、南部の村から初めて出てきました、という感じの女の子(仮名ファティマ)。多分、というのは、モロッコのかなり田舎に行くと、誕生日があやふやな人が結構いて、年齢を聞くと、「だいたい何歳」だったりしたのです。もちろんアラビア語しかわかりません。私も暮らし始めたばかりでアラビア語は初歩の初歩。
突然相談もなく(モロッコではよくあることですが)お手伝いさんを連れて来られても困る、と抗議しましたが、もう来ちゃったんだから仕方ない(これもモロッコではよくあること)と、日曜日の夜、元夫は帰り、私は狭いアパートにファティマと残されました。
村から来たので住み込みです。
とりあえず、彼女はサロンに寝てもらうことにして、私は寝室に引っ込んだのですが、・・・テラスから彼女が大声で、「お母さん!☆☆DHももらうことになった!」と狭い私のアパートどころか、建物全体に響く大声でお給料の話をしているのが聞こえて来ます。。。眠れません。

翌日、ご飯を作ってもらおうかな。
と思って一番簡単そうな「ケフタ」(ひき肉のタジン)を頼んでみましたが、ケフタが何かわからない。これは、私の言葉の問題ではなく、おそらく彼女の村にはひき肉が存在しなかったから。
クスクスなら作れる、というのでクスクスをお願いしたところ、5-6人分くらいのクスクスが、なんと、新聞紙が敷かれたテーブルの上に。
モロッコではテーブルの上にビニールクロスのようなものを敷いて、食事をすることが一般的なのですが、私はビニールが嫌いで、ガラスのテーブルをそのまま使っていたのですが、きっとファティマには、それが許せなかったのでしょう・・・しかし新聞紙。そして大量のクスクスを食べるのは私とファティマの二人。村から来たばかりなので、一人で外出もできないので、買い物も頼めません。
毎日、私は元夫にファティマを迎えに来るように頼み続け、一週間後、ファティマは村に帰って行きました。

田舎から、ティーンの女の子が都会に働きに来る場合、目的の半分は行儀見習いなので、私がモロッコ人の経験豊かな主婦であれば、彼女に色々教えて上げられたと思うのですが、何と言っても私は日本から引っ越して来たばかりの言葉も通じない24歳。かなり無理がありました。

お手伝いさん第二号

しばらくして、仕事が忙しくなり、広い場所が必要になりました。引越先は、エレベーターなし4階の80平米ほどの古いアパート。団地のようなアパートで、敷地内にハヌート(生活に必要な細かいものや食料品を売るキオスク的な店)がありました。
このアパートはファミリー向けだったので外国人女性の一人暮らしは、外聞が悪いということで、お手伝いさんを探すことに。やって来たのは、サナ(仮名)。20代の同年代、新婚で子供はいない、しっかりとした感じの女性で、料理が上手。明るくて、楽しい雰囲気の人でした。
当時の私はモロッコに来て一年未満。元夫とは山を挟んだ遠距離で、同性の友達もいなければ、今のようなSNSもありません。サナの存在が嬉しくて、甘いものを買うときは必ず彼女の分も買い、サナのお気に入りのモロッコメロドラマを見ながら、アラビア語を教えてもらったり、同年代の友人同士のような雰囲気で過ごしていました。

ある日のこと。アパート内のキオスクの支払いは、ツケがきき、一ヶ月に一度まとめて支払うことになっていたのですが、支払額が多いことを不穏に思った元夫が明細を確認したところ、どう考えても我が家では使わないものが大量に載っています。サナを問い詰めたところ、仕事の帰りに、彼女の家で必要なものを全て我が家のツケで購入していたそう。その上、モロッコのキッチンのガスは、都市ガスではなく、ブタンガスのボンベを購入する方式なのですが、なんと、私が留守の時に、サナの夫が来て、満タンのガスボンベと、サナの家のほぼ空のボンベを交換していたそうです。
今考えると、サナの夫は無職だったようですし、お手伝いさんを友達扱いした私のやり方もかなり悪かったのですが、信頼していたのでショック。かなり痛い勉強になり、しばらく人間不信でした。


高額の電話代は・・・

もう一人。私が20代だった頃のお手伝いさんで忘れられない人がいます。仕事がさらに忙しくなった私たちは(すでに結婚していました)、700平米の敷地に建つ、10部屋の一軒家を借りていました。その家の地上階(日本の一階)と離れは仕事部屋、住み込みのスタッフの部屋、二階には私たち夫婦と、当時同居していた元夫の家族が暮らしていました。
そのお手伝いさん(マリカ、仮名)は、マラケシュ近郊の田舎からやって来ました。10代のまだ若い子で、田舎を出るのは初めて。ベルベル人の可愛らしい感じの子でした。

働き始めてしばらくすると、マリカが家で仕事をしているはずの昼間、いつ呼んでもいないことに気がつきました。
仕事のスタッフいわく、うちの前の家の門番と出来てしまい、いつもそちらにいるとのこと。
日本であれば、”休憩中”に誰と会おうと自由ですが、ここはモロッコ。住み込みの10代のお手伝いさんに、近所の門番と恋愛されるのは困るのです。しかもお手伝いさんとしてやってきたのに一日中不在。それこそ妊娠されたら、大スキャンダルなので、彼女の実家まで行き、親からマリカに話をしてもらうことにしました。

お土産の砂糖やら油やらを車に積んで、なぜかウキウキと楽しそうなマリカを乗せてマラケシュを出て30分。「ここからは舗装されて居ないから」という道をさらに30分ほど行ったところに彼女の村はありました。
いかにも田舎で長年農業をしてきました、という素朴な雰囲気のお父さんが出てきて、歓迎してくれたのですが・・・ベルベル語しか通じません。(元夫はアラブ人なのでベルベル語はカタコトでした)
しかも、その家では、マリカは現金収入をもたらす働き手として、お父さんよりも偉いようで、「お父さんからマリカを叱ってもらう」という私たちの目論見は崩れ、なぜか美味しいクスクスをご馳走になって、マリカと一緒にマラケシュに帰ることに。
しばらくして結局マリカは辞めることになりました。

一ヶ月ほどして、一階に置いてある、仕事用の固定電話の請求書が届きました。
そこには見たことがない高額の料金が。。。
明細を取り寄せたところ、毎晩23時過ぎに1時間、2時間の長電話。同じ携帯番号に発信しています。・・・昼間はずっと外出して仕事をしていなかったマリカ、夜は、誰もいない一階の仕事場で、門番と長電話をしていた様子。当時はまだ電話代が高かったのです・・・。


30代になると

私が20代のうちは、ハードな経験が続いた、モロッコのお手伝いさん遍歴ですが、子供が生まれる前の私はとにかく忙しく、一時は15人ほどの大世帯で暮らしていてお客さんも多く、お手伝いさんなしでは回りません。モロッコの住宅は、すぐ砂だらけになるのでお掃除だけでも大変ですし、大体15人ぶんの食事を一人で用意できません。お手伝いさんも、仕事が多いのに、一人では無理です、ということで複数お願いしていました。一緒に暮らす人の人数が多ければ、毎日様々なトラブルが生まれるのですが、その仲裁役は常に若い外国人の私。もう、無理。ということで仕事とプライベートを分けるために引越しした先は、ギリーズの大通り沿いの70平米ほどのアパート。

このアパートに来てくれたお手伝いさんは最高でした。
20歳そこそこのベルベル人の女性。ちょっと複雑な家庭環境で、うちに働きに来ていたのですが、婚約し、結婚するまでうちにいてくれて、後半は娘のベビーシッターとしてお世話になりました。

彼女が辞めてから、来てくれた女性も、あまりにも素晴らしすぎて、ベルリン引越しの唯一の心残りと言っても良いほどでしたが、彼女はなんと、その後アラブ首長国連邦のお金持ちの奧さんになり、今はお手伝いさんを使う生活をしています。


我が家に最初のお手伝いさんが来た時、私はまだ24歳で、モロッコのことも、人に何かお願いしたり指示したりすることも初めて。
ある人とは、お友達モードになってみて失敗し、モロッコ人に、もっと堂々としないとダメとアドバイスされ、次は高圧的になりすぎて失敗し、まあまあうまく行くようになったのは、30代になって子供が産まれてからです。

モロッコ人の家庭でも、余裕のある家には、お手伝いさんがいるのですが、主婦や、ほかの家族の女性が仕事ぶりを一日中みています。
悪い言い方をすると監視なのですが、ずっと話をしながら一緒にいるという雰囲気で、とにかく手を抜いたり悪いことをする隙がない。
若い頃はそんな、モロッコ人の大御所主婦と10代のお手伝いさんの関係を見て怖いなあと思いましたが、今考えると、家事をしっかり覚え、20代で結婚する、という方が、外国人の若い女性のところで働き、出来心で色々してしまったり、家事のスキルも上がらないよりもよほど親切だったのかもしれません。

ベルリンに来て、掃除洗濯料理育児仕事を突然一人でするようになり、たまに懐かしく思うお手伝いさんとの暮らしですが、モロッコで、お手伝いさんになろうという女性は、複雑な背景があることが多く、それが仕事場である我が家にも関係して来たりして、とにかくトラブルが多いのです。
散らかっていても、手抜き料理でも、家族だけの暮らしの方が気楽で良いなあと思います。


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