素振りの奴

夜、いつも銭湯に行く。
家に風呂が無い訳ではないが、銭湯がとにかく好きで最低でも週一回は通っている。
湯から上がって心地よい気分で帰路につく。途中、閑静な住宅地を抜ける。
その時によく見かける人物がいる。
高校生くらいだろうか。一軒家の自宅の前でバットを持って素振りをしている青年だ。
特に珍しい光景ではない。
そして俺はそういう人を見るといつも「ああ、あれが頭に当たったら死ぬな〜」と思う。
こんなに気持ちいい時に、なんでいきなり赤の他人に、一回死ぬ事を考えさせられなきゃいけないんだ!と思って、帰ってからも眠れなくなるくらい腹が立つ。
あの行為ってもっと厳重に取り締まるべきじゃないのか。なんでなんとなく許されてるんだ。道端で、確実に人を殺せるだけのエネルギーを発しているのに。
俺は納得がいかない。
もしバーに行って、絶対に客に提供しないとしても、バーカウンターにずっと毒があったら嫌じゃないか。
紫色の、瓶にドクロマーク書かれてる奴。
ずっと不安じゃん。

この憤りを抱えたまま俺はここ半年くらい生きていたのだけれど、先日偶々、中学高校と野球部だった旧友と会う機会があったので前述の話をしてみた。
すると旧友は「でも、人が来たらやめるし」とかなんとかぬかしやがる。
俺はそういう話じゃねえと思う。
近付いてからやめられても、遠くで素振り見てる時にもう「危ないな!当たったら死ぬな!怖いな」と思って、こっちが一つ嫌な思いをしてるじゃんか。
そう俺が食い下がると、彼は少し宙を見てから「あ〜、じゃあ、素振り見られる前に、こっちが先に人来た事に気付いて、一旦やめればいいって事か」と言った。
だいぶお前側の意見に寄り添ってやって、お前が納得する正解出してやったぞ。みたいな表情で。
それが一番最悪なパターンだとも知らずに。
繰り返し言っている様に素振りをしてる姿を見たら恐いと思うが、まだ「野球の人だ」という最低限の安心はあると思う。
その安心も無く歩いていて、ぱっと顔上げた時に〝ただバット持ってる奴〟がいるのは最悪だ。
ご丁寧に野球のユニホーム着てくれてる訳でもないし。
ただ夜に、寝巻きで、バット持ってる奴、一番恐い。
なんでお前ら野球の奴はそういうとこまで考えないんだ!と若干語気を強めて言うと、面倒臭えなと言いたげな表情で彼は、
「知らないよ。俺も昔は素振りとかしてたけど、そんな変な事ねちねち考える暇もないくらい野球に没頭してただけだし、その子もただ無我夢中で野球上手くなりたいだけだろ」
みたいな事言い始めて、もう俺この言葉に、野球部の嫌な所が全て詰まってると思った!
野球部ってなんか、野球以外の青春を全部下に見てる感じあるじゃないですか。
思えばそいつはずっとそんな奴だったんです!
オタクの男子達がやってるPSPの初音ミクのリズムゲームを覗き見して「何お前ら、そういう女が好きなの?そんな女いないぜ?」とか呆れ顔で言う奴だったんですよ!
でも、そのオタク達にとっての初音ミクは、彼にとっての野球じゃないですか!
どっちも尊い青春で、ここに順位はないと思うんです!
でもオタク達は、悲しいけど、きっと、当時の世間での〝ボーカロイド〟というジャンルの地位や、「二次元の女性に恋心を抱いていたら気持ち悪いと思われる」という悪しき風潮に引け目があってそれに反発できなかったのでしょう。
でも野球部って野球馬鹿にされると顔真っ赤にして怒るよな!!
野球は地位が高過ぎるから!天下を取ってるから!野球真剣にやってる奴格好いいみたいな風潮もあるし!
あと野球の為にこれだけ怒れる熱い俺!みたいな自己陶酔も乗っかってるのかもしれない!だとしたらかなり気持ちが悪い!

そうして、過去の思い出とかも色々繋がって、もしかしたらあの素振りの奴は、夜な夜な野球の練習してる自分に酔ってるのかもしれないとかも思い始めて、より一層大嫌いになった。

後日。
俺は銭湯帰りにまたしてもあの素振り野郎と出会した。
旧友とのいざこざで以前よりも思うところが多分にあったので、俺は彼の事を初めてまじまじと見た。
蛍光灯の灯りを僅かに反射したバットが、ブン!という音を鳴らし、力強く風を切る。冬場だというのに一筋の汗が、こめかみから、ぼろぼろの頬を通り、顎髭に到達する。
俺が勝手に高校生だと思っていた人間は、40前後のジジイだった。
こいつ!青春とかでもねえ奴かよ!!!
なんかもう俺はまじでムカついて!怒り過ぎて涙も出そうで!むしゃくしゃして!堪らなくなって、よく分かんないけど家まで全力ダッシュで帰った。

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