見出し画像

20代一般女性とジストニア -その3

前回から、ジストニアを治療してくれる病院を探していた時のことをまとめています。
中々思う様に事が進まず、正に「地獄の」病院探しでした。
今回(後編)は、また一から病院を探していった過程について書いていきたいと思います。


①発症した時のこと
②地獄の病院探し ☜今回(後編)
③ボトックス注射での治療~一度目の寛解
④再悪化~手術の決断
⑤手術とその後
⑥まとめ?


これまでの記事はこちらから
その1(発症した時)

その2(病院探し前編)

※諸事情により、URLをマイナーチェンジしたため、古いURLだとアクセスできなくなりました。すみません。。。


余談ですが、私この辺りの時期のLINE履歴を吹っ飛ばしてしまいまして…。
この頃は、普段使っているスケジュールアプリも真っ白なので、自分の記憶とTwitterアーカイブなどを頼りに当時のことを書いています。
ただ、今回の記録のために必要な情報があったので、彼に私とのLINEトーク履歴を見せてもらったのですが、「ほんとクソ」が頻出していたので心中大荒れだった模様です。

②地獄の病院探し(後編)

病院の手札が切れてしまい、また一から病院を探さなければならなくなった私でしたが、そう簡単に気持ちを切り替えることができませんでした。
肉体・精神共にダメージが大きく、調べなければ・動かなければならないことは分かっていても、全然身体が動きませんでした。
一応「ジストニア ボトックス注射 病院」で検索して、いくつかの病院を見つけましたが、その中でどこに行けば良いのか考える力もありませんでした。

とりあえず、度々紹介状をお願いしているYクリニック(心療内科)の担当医の診察が翌日にあったため、そこで話を聞いてもらおうと思いました。
しかし、この時期は何かに呪われていたのかもしれないのですが、翌日クリニックまで行くと「担当の先生は、本日急遽お休みになりました。代わりの先生でも大丈夫ですか?」と受付で伝えられました。「大丈夫じゃないです!?!?!?!?」と大泣きしたいのは山々でしたが、一応レディな成人女性でしたので、ここで大泣きしても事態は変わりませんし、「分かりました」と返答しました。

(まぁカルテに大体のことは書いてあるだろうしな)と思い、初めましての先生に前回の診察以降に私の身に起きたことをお話しして、現在精神的に非常に辛いこと・自分で探してみたがどこの病院にすれば良いのか分からず悩んでいること・再びこちらで紹介状を書いていただきたいこと…を伝えてみました。しかし残念ながら、臨時の先生から得られたのは「病院は引き続き自分で探してもらって、紹介状のことなどは担当の先生に相談してください。」というコメントのみでした。いやまぁそうなんだけど、もうちょっとだけ寄り添えん??
薬の副作用は起こりうるものなので、この先生にも、担当の先生にも、その他のスタッフさんにも落ち度が無いのは分かっているんですが、「このクリニックで処方された薬で、私は今、しなくても良い苦労をしているのに、何でそんな態度でいられるんですか? 」というやり場のない怒りに襲われました。

※話を錯綜させてしまうのですが、この2~3年後に別の病院で「実は薬の副作用が原因じゃなかったのでは?」という説も出たりしました。とにかくメカニズムが分かっていない病気なので、原因について断定はできません。この時一番可能性があったのが、Yクリニックで処方された薬の副作用だった、ということになります。生きている内にジストニアの研究が進むことを大いに期待しています。

相談して少しでも気持ちを落ち着かせようと思って行ったYクリニックで逆に心を折られ、精神状態はますます悪くなりました。この日を境に、数週間Twitterに投稿することも無くなります。私は基本言葉に溢れている人間なので、「メンタルそこそこヤバい」レベルだと投稿が増えるのですが、「メンタル深刻にヤバい」レベルまで行くと逆に何も書けなくなります。したがって、この間は深刻にヤバい期間だったのだなと、今振り返って思います。

そんな絶望的な状況でしたが、手を差し伸べてくれた人が二人いました。彼氏と母です。二人がいなかったら、とてもジストニアと向き合うことはできませんでした。

彼には、家事や身の回りのことで大変助けられていました。「病気が良くなったら何がしたい?」と聞かれて、泣きながら「家事がしたい」と答えたことを覚えています。今思うと、かなり極限状態だったと思います。何故なら私は家事が割とかなり嫌いで、好きな家事も特段ありません(強いて言うなら洗い物が好きですが、食洗器が登場したらどうぞどうぞとその座を譲る程度の愛しかありません)。
真面目な話、「自分で自分のことがほとんどできず、人の手を借りなければ碌に生活できない」という経験が初めてだったので、それが随分堪えていたのだと思います。まるで自分の尊厳が失われたような感覚でした。
仕事をしながら私の世話をするのは相当大変だったと思うのですが、世話をするのに「疲れた」とか「面倒だ」という態度を取られたことは一度もありませんでした。ふさぎ込んで毎日死んだ目をしていても、しょっちゅう泣き出しても、根気強く相手をしてくれました。仮に『理解のある彼くん選手権』があったら、推薦したいと思います。

話は逸れますが、実は再悪化している現在も、家事どころか一人での外出も難しい状態です。しかし、今の「良くなったらやりたいことリスト」の1位は『家系ラーメンに行って、ほうれん草と海苔をトッピングする』なので、随分この病気に慣れたというか、図太く(図々しく?)なったなと思います。最近は、「自炊は基本中止+家事はテキトーで」というスタンスでやってます。スペシャルサンクス:オリジン弁当とUber Eats。こんな感じで現在も彼の手を借りつつ、家系ラーメンに行く日を夢見ながら何とか生活をしています。それが叶った暁には、彼にはトッピング全マシで御馳走するくらいはしなければなりません。少しずつ恩を返していきたいなと、今では思っています。

一方母には、自分がヤバい病気に罹ったことを報告するのが遅れました。というか自分から連絡したのではなく、向こうから来たLINEに返す形で状況報告をした記憶があります。
まさか娘がそんなことになっているとは露程も思っていなかった母は仰天し、今後の通院には付き添うと強く主張しました。実家は決して近い場所にはなく、母も多忙な毎日を送っていることを知っていたのと、何より私は独立して(実家から出て)から、個人的なポリシーとしてなるべく実家を頼らないようにしていたので、最初は断りました。しかし何度かLINEでのラリーを繰り返し、最終的には母に付き添ってもらうことにしました。首が右しか向けない状態で、電車などを長時間乗り継いで病院に行くのは普通に危なかったので、意地を通さずに通院に付き添ってもらえて本当に良かったです。

初めて病院に行く日の朝、私の自宅で待ち合わせをしていたのですが、母はフルーツやら作り置きのおかずやら色々持って来てくれました。その上で「今、一番何が辛い?」と聞いてくれたので、「身の周りのことや、家のことを自分で出来ないのが辛い」と泣きながら言った記憶があります。気の強い長女キャラを長年貫いてきたので、母の前で泣くのは何年振りか分かりませんでした。母は、「とりあえず洗い物をやっとくね!!!」と、キッチンにあったものを全部片づけてくれました。それを見て、もっと泣きました。

この二人の人物のお陰で、私はジストニア治療開始まで無事に辿り着くことができました。

まず、思考能力が低下している私の代わりに、彼がボトックス治療が可能な病院を調べ、リストアップし、口コミなども調べてくれました。
その結果、候補として絞られた病院を、参考までに記しておきます。病院名について、前回まではイニシャル表記でしたが、もしも現在病院を探している方がいたら少しでも参考になるように、今回は正式名称+リンク先を記載します(都内ばかりなので、地域によっては参考にならないかもしれませんが…)。


病院候補リスト

・NCNP病院(国立精神・神経医療研究センター)/小平市
https://www.ncnp.go.jp/hospital/guide/sd/shinkei.html
https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease03.html

・順天堂大学医学部附属病院 / 文京区
https://www.juntendo.ac.jp/hospital/clinic/nonai
https://www.juntendo-neurology.com/n-bottokusu.html

・東京都立多摩総合医療センター / 府中市
https://www.fuchu-hp.fuchu.tokyo.jp/about/department/neurology/
※「専門性の高い治療」の内容に、『ジストニアなど異常運動に対する脳深部刺激療法』や『ジストニアや痙縮に対するボトックス治療』が記載されています。

・東京都立神経病院 / 府中市
https://www.tmhp.jp/shinkei/section/medical-department/neurology/index.html
※上記の東京都立多摩総合医療センターと同じ敷地内にあるそう。脳神経内科はそれぞれ独立してるのか不明。
※「当科の診療内容」にジストニアも含まれていますが、どのような治療法を行っているかは事前に確認した方が良さそうな気がします。

・川崎市立多摩病院 / 川崎市
※この病院にはジストニア外来があるという情報を以前目にしたのですが、病院のHPには明記されていないため、予約前に病院への確認が必要そうです。
https://tama.marianna-u.ac.jp/diagnosis/neurology.html
https://medical.jiji.com/doctor/1814


私はこの中から、まず、①NCNP病院 ②順天堂大学病院 の順でアプローチし、必要に応じてそれ以外の病院を検討することにしました。
第一候補をNCNP病院にした理由は、
・国立の医療研究センターのため、専門性が高そう
・ジストニアの個別ページもあるくらいだし、知見がありそう
・診療実績にジストニアが書かれている(重要)
などでした。ただし、正直アクセスが良いとは言えなかったことと、当時は初診予約方法がFAXのみだったことが懸念点でした。
※今見てみたところ、WEB予約も誕生したようです。ただし、ボトックス外来は「医療機関からのみ」予約可能とのことで、私が個人で初診予約をした時と比べて、随分システムや状況が変わった印象です。

また、アクセスの良さなどでは順天堂大学病院の方が圧倒的に良かったのですが、当時のシステム(初診を受けるために事前の予約を取るのではなく、紹介状を持って直接病院に行き、先着順で診てもらう)が私にとってネックでした。記憶の限りでは、その時の初診は1週間の中で1日のみで、MAX4人だったような。行ってから「本日の受付は終了しました」とか言われたら立ち直れないだろうな…と思い、第二候補にしました。ちなみに、この初診受付のシステムも今は大分変わっているのではないかと思います。見てみたところ、少なくとも人数制限に関する記載は見つけられませんでした。

そんなこんなで、まずはNCNP病院にFAXを送ることにしました。自宅にプリンターが無いので、仕事帰りの彼に申込用紙を印刷してもらい、記入し、病院の受付時間が終了する前に首をかばいながらコンビニへ赴き、FAXを送信しました。
すると、翌日か翌々日頃には病院から電話がありました。1週間は待つかなと思っていたので、嬉しい驚きでした。申込用紙にも病状について詳細に書いていたので、電話ではその確認をし、神経内科の予約を取っていただきました。診察日は1~2週間後で、これまで1ヶ月待ちとか半年待ちなどと言われていたことを思うと、早く予約が取れてほっとしました。次のステップが見え、どん底から少し回復しつつ、その日を待ちました。

1月26日(火)、母に付き添ってもらってNCNP病院へ行きました。HPはめっちゃ綺麗なのですが、病院自体は歴史ある医療センターという雰囲気でした。診療科がとても多く、さすが専門病院…と思ったような気がします。
受付を済ませて神経内科の待合で順番を待っていたのですが、私の前の患者さんが中々大変らしく、1時間程待つことになりました。母は一応病院に勤めている人間なので、「大きい病院だと、こんなこともあるよね~。それにしても早く順番来て欲しいけど。」などと言っていて、そういうものかと思いつつ待ちました。

ようやく順番が来て診察室に入ると、比較的若い先生が座っていました。最初は、先生が紹介状の中身を口頭で確認しながら、私が要所要所で補足するといった形で診察が進んでいきました。そして先生からは「症状が酷いとのことですが…現在服用している薬を増やしますか?」と聞かれました。この時私はT大病院の神経内科医が処方してくれた、筋肉の強張りを軽減する薬を服用していましたが、それを増やしたところでこれ以上良くなるとは思えなかったこともあり、「こちらでボトックス注射での治療を受けたい」旨を伝えました。

それを受けて先生はボトックス外来の予定表を確認してくれたのですが、「一番早くて3月になります。それでも良いですか?」と言われました。これはジストニアになった後しばらくの間で学んだことですが、ボトックス外来はとにかく予約が取りにくいです。
(2か月後まで待たなければならないなんて、どうしよう。4月から就職もするのに…。)と頭が真っ白になって言葉が出なくなってしまった私を見て、付き添いの母が「ダメ元でお聞きするんですけど、どうしても3月以前に治療を受けることはできませんか? この人、今本当に苦しんでいるので。お願いします。」と言ってくれました。それを聞いた先生は少し逡巡した後、「ボトックス外来担当に確認しますので、外でお待ちください。」と言われ、我々は一度待合に戻りました。

言ってくれたことがありがたいやら、いい大人なのに何も言えなかった自分が情けないやらで、小声で母に「ありがとう。ごめんね。」と言うと、母は「私ぐらいの年齢になると、何でも言えるようになるよ。あと、もしかしたら予備枠とか無いかなと思って。」と言ってくれました。
10~15分ほど待つと再度診察室に呼ばれ、「2月18日ならボトックス外来の診察可能とのことでしたが、どうですか。」と伝えられました。最初言われた日よりも約1ヶ月早まった形になるので、是非その日でとお願いしました。その後は、ボトックス注射を受けるための説明をされたり、同意書を書いたりして、この日の診察は終わりました。

こうして、どうにか具体的な治療の目処が立ちました。最初に首に異常が生じてから1ヶ月半程度、普通に生活しているとあっという間に感じる長さですが、この時は酷く長い時間を過ごしているように感じていました。

次回は、以後主治医としてお世話になる先生との出会いや、ボトックス注射での治療の推移、生活の変化などをまとめたいと思います。

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?