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20代一般女性とジストニア -その4 #1

こんにちは。前回の更新から日が空いてしまいました。
実は今週初めの方から、手術のために入院しておりまして、その準備やらで遅くなりました。(結局本腰いれて準備始めたのは前日夕方からでしたが!)
経過についてはまた別の機会に書ければと思いますが、まぁまぁ順調です。ただ、脳外科手術の影響なのか、タイピングが遅くなってしまって…。元に戻るまでは時間かかるかもしれません。ただ、入院中は暇なので、ぼちぼち書き進めていこうと思います。

さて、前回では、やっとジストニアを治療してくれる病院に辿り着けました。今回からは、治療の経過や当時感じていたことをまとめていきたいと思います。
①発症した時のこと
②地獄の病院探し
③ボトックス注射での治療~一度目の寛解 ☜今回(#1)
④再悪化~手術の決断
⑤手術とその後
⑥まとめ

最初の記事(発症した時)

前回(病院探し後編)

2021年2月から現在に至るまで、のべ15回の注射治療を受けました。(今日リハビリを診てくれた理学療法士さんに言ったら、あまりの数の多さに仰天されました 笑)
最初の方は2か月ごとに、症状が落ち着いてからは3か月ごとの間隔で病院に通いました。
当初私は、「ボトックス注射を打てば、たちまち良くなる」と甘々な見通しをしていましたが、実際には地道な治療でした。身体がほとんど思い通りに動くようになるまでは、恐らく1年程の時間を要したと思います。
何回くらいで区切って書いていくか迷いましたが、最初の症状が重い時期は書くことも色々あり、思い出すのもしんどかったので、3回分で力尽きました。という訳で、前編後編みたいにできないため、その時の気分で区切ります。今回は ”その4 #1" とします。

【~1回目】 2021/2/18
初めてのボトックス注射は、最初にNCNP病院で診察を受けてから、3週間と少しが経った頃に決まりました。
それまでと症状の辛さはほとんど変わりませんでしたが、先の見えない病院探しから解放されて、精神面が若干楽になったことを覚えています。大学院の修了研究やインターンの成果物にも、意識が向くようになりました。ちなみに、ボトックス注射の初回日の2日前に修了研究発表会があって発表したそうなのですが、今考えると何で出来たのか意味が分かりませんね…(でもこれをやらないと、大学院に残った意味が無くなるので…)。
確か、ソファで横になりながら発表したり、他の人の発表を聞いた記憶があります。そして、しんどすぎて、発表の数日前からCCさくらの話ばっかツイートしています。話は逸れますが、大学院のプログラム発表やインターンの成果物報告の準備をしている以外の時間は、楽な体勢で横になって、スマホで漫画を読み漁る日々でした(CCさくらや金田一少年、BLEACH、Dグレ、秘密、などなど…色々とバレますね)。
そして、NCNP病院でのボトックス注射初回日がやってきました。これが主治医となるM先生との出会いでした。物言いが端的で最初は少し怖かったのですが、今はすごく好きな先生です。M先生は、ジストニアが改善しやすい傾向【①年齢が若い ②発症から治療開始までの期間が短い ③薬の副作用が原因ではない】を伝えてくれました。3つ中2つ(①と②)は満たしているので、可能性はありますね とのことでした。
注射を打つ場所はM先生が指示をしましたが、実際に打ったのは、初診で診てくれた若めの先生でした。「もっと深く!怖がらずに!」と指導されていましたが、怖いのは私だわ!!!と思ってました。注射は首に計6本打ちました。痛みには強いと自負する自分でも、ズンと薬剤が入ってくる感覚がとても痛かったです。それでも、最初だから量少なめだったと思います。

【~2回目】 2021/3/23
注射を打ってから1週間後、痛みなどが引いて、とても楽になりました。しかし、その更に1週間後(=注射を打ってから2週間後)くらいまでは効果が続いたのですが、その後は再び元通りになってしまいました…。
まだ横になって一日を過ごす日が大半だったので、2日で進撃の巨人を読破して、自分で自分に引く…などということをしていました。その後も現実逃避で何回も読み返し、ある程度詳しくなってしまいました(この頃から進撃の巨人大好きです)。
気懸かりだったのが、オーケストラ(以降:オケ)の練習のことでした。ただでさえ、1月と2月に予定していた演奏会(FオケとMオケ)は2つともキャンセルさせていただきました。次回こそはという気持ちが強かったのか、3/7にFオケの練習に復帰しているのですが、今となると正気か?としか思えません。首が右を向いてしまい指揮者の方を向けないので、タンバリンがズレまくる…。またシンバルはまともに叩けず、シンバルには全身の筋肉と体幹が重要だと、この時に知る羽目になりました。このシーズンは自分のパート(打楽器)の出番が多めのプログラムで、自分としても出演したい気持ちが強く、頑張って参加していたようです。結局は1曲だけ、座奏でタンバリンのみに絞りました。楽器屋に行けないので、amazonで2000円のタンバリンを購入して指ロールの練習をしてました!

また、これは闘病中に限った話ではないですが、『自分が必要とされなくなるのが怖い』という気持ちが常にある人間にとっては、長期間席を空けるのがとても不安だったことを覚えています。ですが幸いなことに、結果的にどのオケにも暖かく迎え入れていただきました。
しかし、自分の身体が思うように動かない、コントロールできない、それで色んなところに体をぶつけてしまう…ものすごいフラストレーションがたまりました。祖母はALSを患って亡くなったのですが、もっともっと苦しかっただろうな、と思ったことを覚えています。
さて、1回目から約1ヶ月後の3月23日、2回目の注射の日がやってきました。今度は10ヶ所でした。薬剤を溶かす溶媒?の量を間違えたり、手元もおぼつかなくて指導医に呆れられている研修医らしき人で、不安になりました…。

~3回目】 2021/5/25
さて、どうにかこうにか大学院のプログラムも無事修了し、晴れて職業人になる運びになりました。とりあえず一安心です。しかし、入社まで症状が悪化しないよう大人しくしていたのですが、とても良くはならず…。
観念して会社の人事にメール&クソ長文で説明しました。入社即休職or退職になるのではと怯えていましたが、運の良いことに人事の担当者がとても親切だったので、それは免れました。
入社式の日は、どうにか出社しました。その後のオリエンテーションも頑張ったのですが、流石に首が勝手に右を向いてしまうのを無理矢理手で押さえる様には、人事も同期も大層心配してくれて、心底申し訳なかったです。
(余談ですが、同期にはドン引きされないよう、前日くらいに打ち明けていました。小さい組織なので同期は自分以外に10人未満程しかおらず、話しやすかったのが不幸中の幸いでした。研修中も1人だけリモート参加のところ、すごく助けてもらい、”社会人の同期ウェーイ✌”のような(?)偏見が解消されました。)
そんなこんなで、2日目から特別にフルリモートにしてもらいました。首を何かで支えていると比較的症状が抑えられたので、壁に首を押し付けながら仕事をこなしました。流石にそのまま押し付けると痛いので、ひざ掛けを挟みました。
という感じに仕事面ではスタートを切った私でしたが、メンタル面のコントロールはそう上手くはいきませんでした。徐々に首だけでなく、右肩が鋭く痛んだり、右上半身が思い通りに動かなくなり、日々絶望していました。どうしても、仕事・プライベートあらゆる面において、『もしこんな病気に罹っていなければ、あれもこれもそれもできたのに』という考えがよぎってしまいました。また、楽器が叩けないこと相当メンタルに来ていたらしく、クラシックを聴けなくなってしまいました(もっぱらaikoとYUIばかり聴いていました)。まともに歩けなくなり、五月病も相まって、市販の睡眠改善薬でプチODをしたりもしていました。本当に死ぬ勇気まではなかったので、昼から夜まで爆睡するだけで済みましたが…。
3回目の注射では、12本打ち、保険適用で約5万円でした。あまり効果を実感できていなかったので、この時は『めちゃくちゃ痛いし金も飛ぶのに、大して治っていかないの、本当に死にたい』などと思っていました。ただ幸いながら、この日に担当してくれた研修医(新人?)の方は手際もよく、気遣いも素晴らしかったので、いつもあの人がいいな~なんて思いながら病室を後にしました。

前途多難なところで終わってしまいました。自分でも「今後どうなるか分からない」といった意味で、この時期は辛かったのではないかと思います。
次回は微力ながら演奏会への出演も果たしたり、個人的に動きが生じます。引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。

つづく


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