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僕らのTOPGEARで

ツアーで東京に行って宮崎に帰ってきた。身体に残る熱いような不思議で懐かしい感覚は喉の枯れが治るのと同じようにゆっくりと無くなっていっている。何度でも少しでも鮮明に思い出せるように自分の為に出来るだけ書き残してみようと思う。

新宿マーブルというライブハウスがある。新宿駅の東口を出てアルタ前から歌舞伎町に向かって歩き治安の悪い街並みを歩くとケバブの匂いがしてくる。その匂いを嗅ぐとすぐに現れる。ポツンと水色の壁と看板のライブハウスだ。
ベランパレードは宮崎のバンドだがコロナが流行するまで色んな街に遠征に行っていた。ありがたいことに毎月のように東京でライブをしていた。宮崎でライブする回数より東京でライブすることの方が多く、よく東京のバンドに「上京しないの?」と言われることがあったが僕はいつでも自分がよそ者のような気持ちでライブができるのが好きだった。僕たちにとって東京は「戦いに行く場所」だった。そんな東京でマーブルに出会った。店長の鈴木店長は何だかシャイで変な人でマーブルは音がバカみたいにでかくてすぐに大好きになった。それでもすぐには仲良くなれなかった気がする。僕もシャイなので。何度かマーブルでライブをした頃、ライブ後に鈴木さんとメンバーで話している時に鈴木さんがすごく恥ずかしそうに「ベランパレードは宮崎のバンドだけどマーブルを東京のホームと思ってくれていいからね」と言った。そんなことを言われたのは初めてだった。僕の中で東京が「行く場所」から「帰る場所」になった。

2020年、コロナが爆発的に流行し、2020年1月から3ヶ月連続で企画していた「超健康2マン」というイベントは3月のマイアミパーティとの2マンを残したまま中止することにした。超健康という名前をつけた企画がコロナで中止になったのすごく悔しかったし正直今でも根に持っている。
それから僕と鈴木店長はよく電話をした。今まではライブのブッキングや打ち合わせくらいでしか電話することはなかったのに、ライブなんて次いつできるかわからないのに電話で話した。バンドと全然関係ない話をして二人で腹が千切れるくらい笑ったりした。マーブルを続けていけるのか悩んでいる鈴木さんの話を聞いて、バンドにできることって本当に少ないと実感した。でも無いわけではきっとなくて何ができるだろうと考える時間も貰った。僕らもバンドとして順風満帆とはもちろん行かずコウタとモッコリはバンドを離れて生きる道を選んだ。それでもやっぱり僕はバンドを辞めようとは一瞬もよぎらなかったし、色んな人の力を預かってベランパレードはVERANPARADEになった。一歩ずつ進むことを選んでやってきた2年8ヶ月。進んでいたようで帰っていたのかもしれないと今だから思う。

2022年9月16日
朝の5時に起きてメンバーと集合。車で鹿児島空港に向かった。風も雨もすごくてそもそも飛行機が飛ぶのかすら分からなかった。でも信頼のスカイマーク。ばっちり定刻に飛んでくれた。台風の中遠征するのなぜか今までたくさんあったけど絶対飛んでるんだよな。大切な日だから頑張ってくれて嬉しかった。
羽田空港に着いて軽く食事などをして新宿に向かった。新ギタリストやすよしとサポートドラマーのサトシさんはかなり久しぶりの東京ってことで電車の乗り方も分からなそうだったので僕は得意になって引率係になった。観光ガイドみたいにあれこれ説明すると興味深そうに話を聞いてくれて楽しそうにしてくれたので僕も楽しかった。1日目は2018年ぶりのTOKYO CALLING、マーブルのコラボステージ。メンバーとマーブルに到着して一休みしているとツアー東京編に出演してくれる初めましてのTHE KING OF ROOKIEのメンバーに会った。ボーカルの鈴木琳は2016年彼が高校1年の時にツイッターでDMをくれたことがある。「おにぎりラブソングのコードを教えてください」と来ていて僕は返信できずじまいだったが自分でコピーしてくれていたみたいで後日ツイッターで歌ってくれている動画を見つけた。学校の中庭みたいなところで真っ黒に焼けたいかにもモテなさそうな少年がアコギもめっちゃ低い位置に構えてピッキングもめちゃくちゃででもニコニコしながら懸命に歌ってた。「おっぱいくらい揉ませろよ」という歌詞のところで友達なのか先輩なのかが笑っていてそれがすごく良かった。僕は学生時代、いつも自分が作った歌を友達に聴いてもらうようなそんな想像ばかりしていたがそんな体験はできないままだったので何だか僕の体験できなかった無念を代わりに晴らしてくれたような気がして救われたし羨ましかったし嬉しかった。鈴木琳は僕を見るなり地面に座り込んで「うう、、、あびさん、、、あびさん、、、」と語彙を失っていて、僕もそんな経験初めてで照れ臭くなってしまってとりあえず「タバコ吸う?」と聞いて一緒にタバコを一本吸った。緊張していたのか琳はタバコの火種の方を口にくわえてしまって唇を火傷していた。それからコーリングはあっと言う間に終わった。本当にVERANPARADEを観てもらいたい。絶対最高だから。その一心でやってきて全部ぶつけられたからか本当に一瞬で終わったけどステージから見えるみんなの顔をよく噛み締めて食べた。ライブが終わって僕は先に一人でホテルに帰って休んだ。

2022年9月17日
オフ日。コーリングは下北沢編だったので昼くらいにゆっくり起きて下北に向かった。下北沢駅に着いてやすよしとサトシさんと上京した宮崎の友達の増山と「点と線」というラーメン屋さんに言った。めちゃくちゃ美味くて隣のサトシさんは「これ食ったら他のラーメン食えんくなるな、、、」と何か思い悩むような顔で食べてた。サポートメンバーなので正式メンバーでは無いから引っ張りまわしてしまってごめんという気持ちもあったけどそんなの杞憂だったかもと思えるほど東京を楽しんでくれていて僕まで嬉しくなった。一度僕は新宿に用事がありみんなと別れて新宿へ。用を済ませて下北に戻り駅前でゆりえちゃんと待ち合わせをして合流した3秒後くらいにまた鈴木琳と会った。握手してまた明日ねと言って別れた。手がしっとりとしていた。その後ゆりえちゃんと喫茶店に入って一休みし、喫煙所にいると隣にいた男の子が「ベランパレードの方ですよね」と話しかけてくれた。どうやら店に入った時に僕らを見つけたが声をかけていいのもか悩んでいたが喫煙所に行ったので今だ!と勇気を出して来てくれたらしい。宮崎に住んで家からほとんど出ない暮らしの中でそんなことなかなか無いので嬉しかった。震える手でタバコを吸っていた。彼もまた可愛くてそれでいてなんかモテなそうで良かったなあ。うちの愛犬が可愛いとかダイエットしてるのとかも見てましたとか色々話してくれて、また会おうねと約束して別れた。こうやって東京を好きになって来たよなと思い出した。
時間になったのでtonetoneのくがくんのバンド、チョーキューメイを観て、ボイガルを観て帰った。久しぶりに友達のライブを観れて良かった。色んな人に会えたしCDも渡せた。気持ちよく新宿に帰る。

2022年9月19日
体調も万全でマーブルに向かう。相変わらず入り時間にしっかりやって来たpodoはリハーサルから最高だった。「泳ぎは下手だけどあなたを目指すのよ。泳ぎは下手だから時間がかかりそう。その事をあなたにもわかっていて欲しいから。あなたには絶対ね、言わないように決めたのさ」何度も聴いてきた歌の歌詞が以前と全然聞こえ方が違ってリハーサルを見ていたらボロボロ涙が出た。時間はかかったけど今日までたどり着けたんだなと思わせてもらった。いつもありがたい。無人島かあの世にCD持っていけるならVEARANPARADEとpodoがいいな。
リハーサルを終えて開場までの時間にマーブルの外に立っていたら昔からライブに来てくれる方が声をかけてくれた。すごくシャイな男の人なのだが嬉しそうに「アルバム最高でした」と言ってくれた。「もし今お時間あればアルバム持って来たのでサイン書いていただけませんか」と丁寧に言われた。もちろん!と言うとポシェットからプチプチの梱包材で丁寧に包まれた僕らのアルバムが出て来て、曲の感想を話してくれるのをうんうんと聞きながらまた泣いてしまった。困らせてしまったと思う。ごめんね。すごく大事に作ったしみんなに会いたくて作ったものだから大事にしてもらえて本当に幸せです。ありがとう。
THE KING OF ROOKIEが最高のライブをしていた。大好きになった。「かっこいいバンドや好きなバンドはたくさんいるけど恋に落ちたのはベランパレードだけだ」と琳がMCで言っていた。新潟と宮崎という遠い街を越えて届いていたんだな。がむしゃらに歌ってたあの頃の僕に教えてやりたい。こんなに素晴らしい事が待ってるんだぞって。奇跡なんかじゃなく間違いなく僕らが一日ずつ一歩ずつ歩いて来たおかげだよね。
ユレニワも初めましてだったけど最後の最後に「VERANPARADE!かかってこいや!」と言われた。そんな事初めましてで言ってくれたバンド初めてだったしめちゃくそ燃えた。最高に気持ちいいライブだった。かかっていくわ!ともなったしVERANPARADEをよく見とけよ!とも思った。やる事なんて変わらないから。これからも会えそうな気がした。
ライブが始まってからのことはほとんど覚えていない。ただ思い出せるのはステージから見えた「景色」なんてものじゃなくみんな一人一人の顔だけだった。泣いてる顔も笑ってる顔も全部焼き付けたからね。僕はみんなの顔が見たくてバンドをやっています。観てもらいたいけどそれよりやっぱり見たい。そのために本当に一ミリでも前進しているのかも怪しい日も多かったけどやって来て良かった。バンドで居続けられて良かった。VERANPARADEが帰ってくるまでマーブルを守ると電話越しに言ってくれた鈴木さんのマーブルに元気に帰れて良かった。これからもっと良くなるからこれからもどうかよろしくね。

お互い意地だったと思う。それしかなかったんじゃないかとすら思う。言い過ぎかもしれないけど鈴木さんは僕らが帰る場所を守る為にマーブルを守り続けてくれたんじゃないかと僕は思っている。僕はバンドとしてめちゃくちゃカッコ良くなって帰ってきて寂しかったことやクソみたいな日常も全部ひっくるめて一緒に吹き飛ばしたかった。最後に笑えたらそれでいいじゃんと僕は心の底から言えない。クソなものはクソだ。悲しさも寂しさもがっつりしっかり残ってる。それでも無理してでも笑って続けることにきっと意味はあると思う。意地でも鳴らしていきましょうね。意味なんていつか要らなくなるまで。

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撮影は南風子

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