home made

久しぶりに文章を書きたいという気持ちになりnoteを開こうとしたがどのメールアドレスで登録したかもパスワードも忘れていてログインするだけにかなり手間どった。やっとログインすると前回の記事は2019年7月の記事だった。2020年はツイッターの140文字以上の文章は書かなかったと思う。

2021年になった。2019年はソファベット宇宙旅行というコラムをRock isで書かせてもらっていた。名前の由来にもなった黄緑色のソファベットは去年捨てた。

去年の10月に一人暮らしを始めた。1LDKの結構でかい部屋で窓も多いから日もたくさん入るし風通しもいい。朝は東側のベランダから朝日が入ってくる。夕方になると西側の台所の窓が夕焼け色になるのがお気に入りだ。

一緒に住んでいたフレンチブルドックのしんちゃんと毎日会えなくなったのは寂しい。この前会いに行ったら坂元家で僕だけがこっそりとドッグフード以外のおやつをくれることを覚えているのか家族の食卓のテーブルの下で僕の方をまっすぐに見つめておすわりをしていた。ロールケーキのクリームをちょっとだけ指につけて舐めさせた。頭の白い毛が気持ち薄くなっていて黒くて丸い模様が少し透けて見えた。しんちゃんもおじいちゃんなんだな。もっとくれと吠え始め、無視していたら母親に抱かれ離れた所に連れて行かれた。母親の腕の中からこっちを見ていた。

過去のコラムを読み返すと結構長い期間僕は床で寝ていたことを思い出した。今僕の部屋はでかくていい部屋なので寝室がある。1人で寝るのにダブルサイズの厚さが30センチくらいあるマットレスで寝ている。寝返りが二回打てる。最強の睡眠環境を整えたのに最近はコタツで寝てしまう。コタツで一旦寝てから夜中に起きて寝室で寝る。2回寝たというか、2倍寝たというのか、そんなお得な気分になる。

朝から夜まで毎日家の中にいるとさすがの大健康マンの僕でもなんだか取り残されてしまったような、全てが自分と無関係なような気分になることがある。せめて少しくらい歩こうと思いつつもコタツから出れないでいると友達から新曲だとサウンドクラウドのリンクが送られてきた。

「生活とは俺の何か、生きるために背負うものか」

という歌詞が耳に入ってきて涙が二滴分くらいじわっと出た。生活って背負うものなんだろうか。だから僕はこんなに猫背なのか。なんとなく外に出ようという気持ちになり40000円のヘッドホンを装着して部屋を出た。40000円のノイズキャンセリングヘッドホンをつけて。

街の方まで歩くと人通りは少ないがコートを着て寒そうに歩いているお姉さんやおじいさんとダックスフンドが散歩していたりして元気が出た。なんで元気が出たかは今もよくわからないけど生きる力をもらったような気がした。

去年は15曲くらい新曲を作った。曲を作ることに曲を作りたいという衝動以外の理由があるとすれば僕にとってそれは「会いたい」だと思う。音楽に音楽以外の動機があることが悪いこととは思わない。自分じゃない人の身体を触ったりするのと音楽を聴くのは少し似ているような気がする。

今日はスーパーに言って大根のキムチを買った。レジに並んでいたら3歳くらいの男の子が「おかあさ〜ん」と言いながら大泣きしていた。レジに並んでいる人なんか目に入ってこない様子だったが僕がもじゃもじゃだったからか僕と目があってからは僕をじっと見ながら泣いていた。今は近付くことすらはばかられるので離れた場所から「お母さんいないの?」と声をかけた。もじゃもじゃはこわくないよ。お母さんはいるよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?