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存在しない散歩

ぎりぎりまで寝てぎりぎりで起床。
今年はぎりぎりまで眠るのをやめてみたい。

起きて鏡をみると髪の毛が全部外側に跳ねていた。

そのまま外出。

ベージュのパーカーを脱いで赤のトレーナーを着た。

最近は歩いて移動することが多かったけど今朝は自転車で移動。自転車は歩きより早いから時間が捻出されたような気がするけど、目に入ってくる情報が処理しきれなくて「移動」という感じが強くなる。
歩いていると考え事をする時間が増えたり看板を読みながら歩いたり小さな発見が多いので「移動+α」という感じ。むしろ「α+移動」みたいなところがある。

このαが結構大事なので、むしろ時間を生み出しているのは歩いている方なんじゃないかなと思う。

昨日は良いことがあった。まず、年末年始に作っていた本を製本の業者に入稿したのだが、なんとなんのデータ不備もなく一発でOKだったのだ。

総104ページの大作(僕にとっては)をPhotoshopで1ページずつ作ったのでなにかひとつでもミスしていたら100ちかいPhotoshopのデータをまたひとつずつ編集しないといけなくなる。PhotoshopもIllustratorもlogic pro(レコーディングソフト)も一通り扱えるには扱えるがすべてほぼ独学、先生はインターネット。という感じでやってきたので細かいデータの形式とかとにかく苦手意識がある。

今回は製本業者の「データ入稿の注意点」というページを入念に読んで、大事な所はメモ帳にすべて書き起こして望んだのでよかった。実った、と思った。(弟も画像解像度について説明してくれた)

朝、少し早く起きて散歩するのを日課にしたいと思った。常々思っているがなかなか実行に移せない。毎日大体17時くらいまでは眠い。

朝から歩いたり誰かと話すとすごくいいだろうなと思いダメ元で

毎朝散歩したいんだけど(出来れば早歩きで)毎朝一緒に散歩しませんか?と後輩のイタロに連絡をする。
「しましょう!」
と即レスをいただく。すげえ。ありがてぇ。

お互いの家の中間地点くらいで集まって歩いたらいいよなみたいなことを考えてる。

12時。白ごはんと鶏肉の焼いたやつを食べたら急激に眠くなる。昨日ちょっと夜更かししたから。

弟から作曲の依頼があって、テーマは既に決まっていたのでどんな曲がいいかなーと1週間くらい頭の片隅で考えていたら昨日の夜「ピピっ!」と思いついてメモ帳に歌詞を書いた。すぐに書けた。

家に帰ってギターを弾きつつ頭の中で考えてたメロディを歌いながら、ギターのコードはこれかな〜?と頭の中で考えていたコードを弾いてみたら90%くらいバッチリハマった。10%は弾きながらコードをつけた。

にしても、自分のことだがこれってすごいことだよなと感動を覚える。

歌詞ができてメロディをつけて、ここまではなんというか子供のころから作りだした適当な歌を歌っていた僕としては特別な能力という感じはしない(できること自体は)(いいものを考えるのはまた別として)

でも、頭の中でコードをイメージしてギターを弾いて伴奏をつけていくのは自分でやってて「すげえ」と思う。なんというか『能力然』としている。

こんなこと、当然昔はできなかったし、音楽をやってきたからできるようになったんだと思うんだけど、いつできるようになったのかもなんでできるのかもわからない。自分が音楽をしているという意識が普段あまりなく、好きなものを僕も作って面白がりたいという意識の方が圧倒的に強いので、たまにこうして自分の中に音楽然、能力然とした何かを感じると新鮮な驚きがある。音楽をやっている、、、となる。

中学の頃、学校にあまりこないクラスメイトでギターを弾ける子がいた。音楽の授業でめずらしく出席していたその子がアコースティックギターを弾いた時。魔法を見ているような気分になったのを覚えてる。

出来る様になると魔法じゃないとわかる。

でも今でもギター弾ける自分が信じられないような気分になることがある。


弟に送ったら
「最高なんだが」

「語彙力を失ったような歌詞が僕っぽくて良い」

と褒めてくれた。語彙を失ってる感じを意識して書いから嬉しい。
弟は家族で共有してきたものが多いからか少ない言葉で言葉以上のなにかをやりとりしているような気がする。

「言葉」とは分別、分断するもの。と最近読んだ短歌集のあとがきに書いてあった。
物事にはグラデーションが存在して、例えば夕焼けも赤からだんだんオレンジにそしてだんだん黄色にとグラデーションを作りながら存在している。
「真っ赤な夕焼け」という言葉はグラデーションを断ち切って削ぎ落とすものである。みたいなことだと思う。言葉がすべてを語りきれないと感じるのは、言語化した際に削ぎ落とされたグラデーションや矛盾のことを置いてけぼり、というかないようにしてしまうことに対する葛藤なんじゃないかと思った。

それでも言葉は大切で素晴らしいものだと思う。工夫してなるべくグラデーションを作ったりするのが詩だったり、矛盾を作ったりするのが冗談みたいなものだと思う。そういう工夫の余地がある手段を持っているということが人間は素晴らしいと思う。


満足してYouTubeで「島田秀平の御怪談巡り」を観ていたらそのまま寝ていた。睡眠BGMには怖すぎるかも、、、と寝落ちる思ったところまで覚えてる。

なんか昨日の日記を書いてしまった。






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