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言葉の息継ぎⅡ ~句読点不在のSNS~

 新卒というよりももっと大きなグループで新社会人というべきか、職場で度々絶句する場面の一つに彼らはまともなメールの文章が書けない。共有用メモを取ることが出来ない。勿論、全体論ではなく私がそうした一部の人に偶然巡り合ったとも云えるが。
 けれども、新社会人一歩手前の大学生のレポートを読んでいても「もし所属を伏せられたなら大学生と判断できるか」不安な学生が多い。その原因を探るにはおそらく深い穴を掘らなくては辿り着けない予感がする。偏差値50半ばの大学生であっても、この内容では進学校中学生レヴェルではというものに確実に出会っている。よく受験をすり抜け大学まで辿り着いたことと不思議になるほど、ある意味その技には感嘆する。

 時々、字数制限の依頼を受ける。或いは、講演時間制限の文章を書く。いずれにしても、ボリュームを埋められず苦戦するよりも私は削る側になる。
 こうした事情に置かれる人間方が圧倒的に世間では少ないとは言え、それでも、文章を書けない、読めない(=指示が伝わらない)人が多くなった印象がある。

 「メール」で句読点を全く打たない人が居る。おそらく彼女はSNSの中でもLINE類を主として使っているのだろう。
 また、友人の一人には「メール」でありながら1行が15文字程度で頻繁に改行するする人も居る。
 普段、私はimessageを使っている。あの吹き出しのデザインはお見事。目の前には居ない人だが、会話を交わすように言葉を「投げ合う」。そこには、句読点は要らない。実際「face to face」であれば、句読点の代わりは間合いになるところだ。

 こうした簡単なメッセージツールがdefaultになっていくと、句読点で悩む人は、今後、少なくなっていく一方なのか。

*タイトル写真:ダブリンにあるトリニティカレッジ図書館2FLにある長さ65メートルに及ぶオールド・ライブラリー「ロングルーム」。空間に居るだけで圧倒される時の経過。


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