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「The Father」

原題:The Father
監督:フロリアン・ゼレール
制作国:イギリス・フランス
製作年・上映時間:2020年 97min
キャスト:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン、マーク・ゲイティス、イモージェン・プーツ、ルーファス・シーウェル、オリヴィア・ウィリアムズ

 舞台劇「Le Pere 父」を設定パリからロンドンに変更しアンソニー・ホプキンス演じる父とオリヴィア・コールマン演じる娘のある切り取られた日々を軸に親子が決断した新しい生活への移行までが簡潔に描かれる。

 冒頭、ヘンリー・パーセルのオペラ「アーサー王、またはブリテンの守護神」の挿入歌“What Power Art Thou?”から始まる。

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What power art thou               
Who from below
Hast made me rise                
Unwillingly and slow
From beds of everlasting snow!

See'st thou not how stiff and wondrous old,   
Far unfit to bear the bitter cold,
I can scarcely move or draw my breath?

Let me, let me, let me freeze again,
Let me, let me freeze again to death,
Let me, let me, let me freeze again to death

 この曲では寒さに凍える神が愛のキューピットの力で寒さから解放されることを望む情景が歌われる。これは、また、アンソニーの心情でもあり彼の台詞の代わりに音楽が使用されている。作品では冒頭に限らずアンソニーの心情を補うクラシックが随所に効果的に配されている。 

 レビューの中には鑑賞者の認知症追体験等が見られたが私は追体験の言葉を使うにはまだその言葉への距離を感じ、どこまでも傍観者として寧ろ申し訳ないほど冷静に認知症として描かれる彼の混乱を観ていた。

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 100分を切る作品の中に認知症と推測できる彼自身或いは彼を含む家族の出来事が厳選され配置される。決して多くはない挿話とは対照的に舞台装置の細かさは見事すぎて、結局、私は先の音楽確認とそれらを確認したくて二回この作品を観た。

 アンソニーが少しずつ混乱を深くしていくに従いフラット内の設定も変化していく。まるで変奏曲のように内装が変わっていくのだ。それが、アンソニーの混乱なのか懇切丁寧に語られない事実なのかを一回目鑑賞の時は戸惑った。

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 シンメトリーな配置でありながらも映像では僅かにその部分をずらすことで感じさせる不協和音。

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 フラット内部の廊下は後のケアホームと変わりない構造である。しかし、そのフローリングに敷かれたカーペットの色や内壁の色が変わるだけで安らぎの暖かな空間は消え拠り所が乏しい不安な所へと変貌する。
 全体に統一感ある「青」が台詞並みに色味を変え象徴的だった。アンのフラットにある温かみある青からケアホームの廉価な青を置くことでアンソニーの置かれた状況や精神状態までを補う。

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 記憶を無くしていくこと、混乱していくことは本人にとって不幸なことなのだろうか。やがて訪れる幕が下りる日まで、もう、父親としての責務からも解放され最初の記憶にある包まれるような暖かな記憶の母に支えられることが私には救いに見える。勿論、そこに関わる忘れられていく家族の辛さはあるが、それは巡りまわって自身もまたそうして老いていくのであれば許されるのではないかしら。

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 最後のシーンも印象的。自身の記憶の中から愛しい娘さえも零れていく。
 それでも、これは悲劇ではない。

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 「自分の葉を全てなくしていくようだ」と窓外のきらめく陽光とは対照的にアンソニーはつぶやく。もしも、この時に記憶が壮年時のように鮮明であった場合は居たたまれないほど寧ろ残酷だ。
 アンソニーに言えるものであれば「葉を落とす前に貴方は十分に実りたわわな枝を持っていた。それは大地とつながっていた。」と伝えたい。

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 空間の混乱、人物認識の低下、そして、作品中何度も腕時計の存在を気にするアンソニーに見られるようにもはや現実的な時間の流れを見失い始めた人生の終わり近く。
 ルドヴィコ・エイナウディ「マイ・ジャーニー」と共にこの作品が終わるとき、まるでコンサート会場でシンフォニーの最後の一音が会場で消えることを追う感覚だった。

★★★★☆


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