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「ダンサー セルゲー・ポルーニン 世界一優雅な野獣」Ⅱ

 今年、再度観に行った映画二本目である。(今回は渋谷UPLINK)因みに一本目は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」。
 

 会話の流れが解っている分字幕に囚われず全画面に集中出来る。観飽きることは無かった。
 映画という制約の中で描かれる以上、それがどれほど事実に即して真実に近くてもその漸近線はかなり遠い。まして凡人がどれほど彼の苦悩を理解できるのか。それでも、(映画)作品となった彼の世界でさえも魅了される。

 「夢は全て叶えた」

 こう云い切るセルゲー。その年令はあまりに成熟からは離れた若さだ。
 プリンシパルになる為に(=怪我を避けるため)多くの事を我慢したと同じバレリーナである友人が代弁する。確かにそうであるろう。だが、我慢というより「犠牲」にせねば得られないものであった筈。おそらく多くの人が何かを犠牲にしながら希求している。我慢というマイナス思考ではなくそれは必然だった筈。
 夢は一つではない。また、新たなものを求めて欲しい、と映画を観終わった感想だったところに彼のInterview動画を見つける。そこに始動した彼がいて安堵する。

 クラシック音楽は言葉通りにかなり昔に書かれた楽譜を夫々の解釈のもとに演奏され同じものはない。仮令、同じ人が奏でても演奏時の年齢が変わるだけでも表現が変化する。
 上記URLのロンドンでの「Take Me To Church」。これは、映画の中とは別物でもう「作品」となっている。あの日、このdanceでプリンシパルまで上り詰めた人生に幕を引くと決めた彼の魂は此処にはない。あの時、差し込んできた光は教会など、神など要らないというdance(歌詞)にそれでも神は「いや君が拒否しようと見守る」と光で答えてきたようで私にはとても印象的だった。彼の魂とその土地(或いは舞台)が持つpowerが相乗して出来た舞台だった。同じものは再現できない。


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