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「ピータールー マンチェスターの悲劇」

原題:Peterloo
監督:マイク・リー
製作国:イギリス
製作年・上映時間:2018年 155min
キャスト:ロリー・キニア、マキシン・ピーク、デーヴィッド・ムーアスト

  1815年ナポレオン戦争はウォータールーの戦いで終わる。戦後は勝利を得ても待っていたのは不況だった。日本は歴史を振り返ると完全市民参政権獲得が遅く20世紀だ。それよりも一世紀早くイギリスでは既に選挙権を持たない市民の不満が抗議活動に発展していた。

 200年前の1819年8月16日、マンチェスターのセント・ピーターズ広場で6万とも7万人とも云われる大集会が著名な活動家であるヘンリー・ハントの主導の中行われることになる。
 この集会は武装決起集会ではなく、貧困と参政権という民主主義の根本を問う集会が企画され、人々は「正装」して広場に集まる。

 それは、日曜日の教会へ正装して行くこと感覚は似ていたのではないか。
 武器も持たず、現状に諦めず変革を求め男性ばかりではなく女性や子も集まる集会が、まさか血塗られようとは誰一人考えもしなかったろう。

 退路を塞がれた広場で義勇軍と政府軍はもはや統制機能を失い無差別に必要以上の制御行動に出る。結果、死傷者の正確な記録はないが10人以上が命を失うという民主主義の始点は汚点にもなった。

 もし銃剣を持った兵が出口を塞いでいなかったならば、少なくとも死者を伴う悲劇は避けられたかもしれない。作品の中で暴走する軍に「恥を知れ!」と上司が諫める声があったが、もはや聞くべき人の耳には届いていなかった。

 1972年「血の日曜日事件」と呼ばれる悲劇がある。
 アイルランド人の『平和的』デモに対してイギリス軍が銃撃し13人を殺害した。13人の中には7人もの十代が犠牲になっている。この出来事をこれまではイングランド本島からは対岸の火事以上に向こうの島で起こっている煩わしい出来事への非人道的なイギリスの政治行動と見ていた。
 しかし、相手がアイルランド人でなく同胞マンチェスターにおいても全く同じ権力の横暴はされていたのだ、と悲しい図式を再認識する。

 作品は特に集会へのシーンにかけては構図が絵画的に見えた。
 まるでイギリス階級社会をそのまま絵にしたように、労働者、演壇に上がる裕福な大地主出身者、広場を見下ろすフロアには判事ら、更にその上に天井人国王が居る。

 群像劇のようにパートが連なっていく並列は、話の集約にはやや難があったようにも見える。只、マンチェスター半分の市民が三々五々集まり広場を埋め尽くしていくシーンは圧巻でもあり、美術館で観た絵の一枚のようもあった。
★★★

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