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LGBTQ+Q 再考

 タイトル写真は映画「Girl」の主人公役ビクトール・ポルスター氏と作品モデルノラ・モンスクールさん。
 マガジン「映画Ⅱ」でも『Girl』については書いている為、ここでは重複を避け内容は割愛する。
 『Girl』:思春期に重なった性自認に悩むララを周囲の医者も含めた大人の理解ある守り方が印象に残る。観終わってからも考えることがあり、こうして「映画」ではなく「雑感」で記録することにした。

          *写真:ノラ・モンスクールさん
 『Girl』の最後の描き方には非難があったが、ノラ・モンスクールさん自身が発言しているよう「現実には起こらなかったが何度も考えたことがある」と描写非難を否定した。
 この言葉にも現れるように、自分が入るべき本来の器(ノラ・モンスクールさんにとっては女性の躰)をもらわなかった苦悩は医学的なことばかりではなく世間の認識未熟さ故に一層彼女を追い込んだことだろう。

 既に「LGBTQ+Q」の『LGB』の性的指向と『TQ+Q』の性自認を一緒にしてよいのかという議論は起こっている。
 『Girl』を観た後この点がとてもよく理解できた。大人前の小中学生が自分が意識する性別と躰の造作に悩むことが、大人(ここにも実際は青少年は含まれるが)の性指向とは根本的生きづらさが違う。あらゆる所で要求される性別を書く行為、もうこの時点で苦しまされる彼ら彼女ら。
 『LG』の部分に関しても成人し婚姻を結ぶ際に障害が生じることに対しては一部の国・地域に固定されず法改正が進んでいる。それに対して、自身を守る手立てが少ない成人前の子らが、せめてこの生存理由にも関わる繊細な部分を「興味本位で土足で踏み込まれないよう」我々の共通認識が広がることを願う。

 これまで敢えてLGBTQ+Qとして意識して観たわけではない映画を改めて見直したところ少なからず作品があった。製作年代順に以下(尚作品タイトル後「*」はnoteレヴュー記載):
2008年「ミルク」
2010年「キッズ・オールライト」
   「人生はビギナーズ」
2012年「マリー・アントワネットに別れをつげて」
2013年「アデル、ブルーは熱い色」
   「佐藤家の食卓、鈴木家の食卓」
2015年「キャロル」*
   「リリーのすべて」*
   「アバウト・レイ16歳の決断」
2016年「ムーンライト」*
2017年「君の名前で僕を呼んで」
   「ナチュラルウーマン」
     「BPM」*
2018年「ボヘミアン・ラプソディー」*
   「ある少年の告白」*
   「Girl」*

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ave_maris_stella

真夜中の秒針の音を消して、静かに誰かにこの言の葉が届きますように

よみ人しらず:雑感

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