お笑いのプロレスがある訳
皆さまこんにちは!
ヒコーキ写真の世界を超望遠で切り撮る航空写真家
深澤明です。
プロレスの話をド本気講座でしたところ、皆さんポカーンとされていました。ヒコーキやヒコーキ写真好きの方にするべき話ではないのかもしれませんが、プロレスからは人生が学べます。
エンターテイメントだの八百長だの筋書きのあるドラマだのと、プロレスに対していろいろな解釈はありますが、基本的にパンツ一丁で少なくとも十数分間、観る人を魅了するってなかなか真似できるものではありません。
バチバチのストロングスタイルからお笑いのプロレスまで、幅広いのも特徴で、中でも人を笑いに包み込むお笑いのプロレスは、相当な基礎がしっかりしていないとできないと言われています。
「依頼主の要望に対して期待された通りに何でもできるのがプロなんだよ」
とは藤原喜明さんの言葉です。
「だからこそ、基礎が大事なんだよ」
と語っています。
まさにプロ論、人生論そのものに感じています。
さて、お笑いプロレスについて。
一見ふざけているだけのように見えるかもしれませんし、プロレスを見たこともないし興味のない人には「なんのこっちゃ」ではありますが、お笑いプロレスの代名詞的存在の菊タローという選手が語っていた言葉がとても印象に残っています。
それは
「お笑いプロレスの分野でしっかり楽しんでもらって笑いを取ることで、メインイベントなどのバチバチのすごい試合とのギャップを大きく、深く取りたいと思っています」
というものです。
このギャップを限りなく大きくすることで、バチバチの凄い試合の引き立て役に徹する。そのことだけを考えていると。
ね、まさに人生論ぐらい深いですよね。生き様ですよ、ここまでくると。
ご自分の役割を自ら作り上げていって、プロレスの世界で生き残ろうとしている。そのプライドと言いますか、職人魂とでも言いますか。
とにかく、深いんですよ。どの世界も。
悪役(ヒール)がいて、乱入があって、観るものにモヤモヤ感を残していく。これもひとつのプロレスです。そして、このモヤモヤ感は、理不尽でなかなかうまくいなかいこともある人間社会の縮図であり、その中で観客という立場で何もできない無力さや歯痒さが、良い訳です。
ベビーフェイスのいいヤツがヒールにいたぶられて追い詰められる。そのままやられてしまうのかと思いきや、反撃のバックスイングを取っていただけで、一気に巻き返しを図る。起死回生の一発が決まり、会場は大いに盛り上がる。
そこには人間が本能レベルで多少の喜びさえ感じる戦いを繰り広げ、動物的野蛮さと文明としての冷静さや賢さとが交錯する。
憎い相手がいて、超えられたくない相手がいて、負けたくない相手がいる。
どの世界も同じです。
お笑いに徹する勇気はありませんが、プロレスから見えてくるのは試合の内容だけでなく、レスラーの生き様です。
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