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幼稚園が嫌だと言って泣きだす息子へ

息子は繊細さんだ。

些細なことが気になる。

些細なことが怖い。

出来ないことに過敏に反応する。

どうして?なぜ?を理解したい。

察する能力が高い。

好奇心が旺盛。

周りが気になって、自分の気持ちを表現出来なかったり、我慢して自分の殻にとじ込もってしまったりする。

最終的に自分を責めて、卑下し、生きていることを苦痛に感じたりする。

自分がそうだから、息子が大人になって同じ様に感じてしまうのではないか、そんな不安が常に付きまとう。

誰かに認めて貰えないと、生きている価値を見いだせない。

そんな風に感じる事があるのではないか?

幼稚園に通い始めて5日目。

遂に息子が幼稚園へ行きたくないと言って、行く寸前に泣き出しだ。

それまでは普通に遊んでいたのに、いざ行こうとすると、ぎゅっと私の肩にしがみついて泣き出した。

ああ、きたか。

幼稚園の初日、息子は楽しかったと言って帰ってきた。

しかし、数日間通ってみて、好きなように遊べないし、先生に怒られたり、誰からも注目されなかったり、そんな事がストレスに感じるようになったのだろう。

帰ってから幼稚園での出来事を話さなくなった。

それを合図に、家で遊んでいる方が楽しいスイッチが押されてしまったようだ。

息子を肩に抱きながら、

もう、休ませてしまおうか。

そんな気持ちがうっすら影を出す。

あと5分でバスが到着してしまう。

今日はお弁当初日の日。

無駄にはしたくない。

行ったら楽しかったと言って帰ってくるかもしれない。

そんな気持ちをウロウロさせながら、息子を抱いてバス停まで走る。

今日は朝、オシッコもしてくれなかった。

幼稚園でちゃんとトイレへ行けるか不安だ。

息子が繊細さんなら、母も輪をかけて怖がりの心配症。

だから、息子の気持ちが良く分かる。

好奇心が消えたあと、嫌になることが多々有ることを。

自分の勝手な想像で、今日も昨日と同じ様に楽しくないかもしれない。嫌なことがあるかもしれない。

そんな思い込みで、段々と思考が嫌な方へに傾いていく。

自分の気持ち次第で、世界は何色にも変えられるのに、灰色に塗りたくった心のキャンパスは、なかなか他の色に変わらない。

幼い頃、自分の気持ちは外からの出来事に反応して一喜一憂するものだと思っていた。

でも、40歳も過ぎると外の出来事が全てではない事に気がつく。

気持ちは自分で変えられる。

変える方法を身につけられる。

今、私が鬱々と落ち着かないのは、泣いている息子をバスに乗せた苦しさや心配だからという理由だけでなく、自分が自分にそういう気分になることを許しているからだ。

息子は、初めての集団生活で我慢を学ぶだろう。それと同時に、理不尽と不自由を感じるだろう。他者と関わるとは、そういう事だ。

気分だけで生きる事は、老いればいくらでも出来る。

一人で遊んでいるよりも、誰かと関わる事で楽しさや喜び、学びがあることを知って欲しい。

頑張れ息子✊‼️

嫌な事は思いっきりママの胸で泣いて、流して忘れてしまえば良い。

神様は忘れるという能力を、ちゃんとあなたに装備してくれているのだから。

いつでもあなたの事が心配なママより





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